プレジデントアクトレス








 scene 1 幕前 



「くくくくっ。今夜も楽しいパーティだったよ。」

屋敷へ戻る車の中で、隣のシートに腰掛けるマヤはふくれた顔をしている。

「そんなに笑うことないじゃないですか。あたしだってちゃんと社長夫人としての役目を果たそう と頑張っているのに。」

「ああ、十分に果たしてくれたよ。大都が手を切りたいと願っていた懸案の社長の顔に派手にト マトジュースをかけてくれるとはね。練習したって、ああも的確な場所でドレスの裾を踏んでこけ るなんてできないからな。いや〜、先方から絶縁宣言してくれて助かったよ。君は天才だ。」

「本当にそう思ってます?あ、もしかしてあたしのこと見せ物にして・・・。」

「まさか。だいたいあの手のパーティは夫人同伴なんだから、俺が君以外の人間をパートナーと して連れて行けるはずないだろ。」

「じゃぁ、しょうがなく?」

先程とはうってかわり、悄然として泣き出しそうになっているマヤを引き寄せる。

「違うよ。君はみんなに見せびらかしたい最高の奥さんだよ。さあ、もうこの話は終わりだ。今稽 古中の芝居の話をしてくれないか。」

確かに、マヤを伴ってパーティに出席すると必ずと言っていいほど何かが起こる。大切な取引相 手の名前を忘れるなんてかわいいもので、アルコールとジュースを間違えて一気飲みして倒れ たり、トイレに立って迷子になってお開きまで会場に戻って来られなかったり、考えてみれば標 準的な社長夫人なら絶対しないことばかりを彼女はする。
俺自身は、これまで退屈でしょうがなかった無味乾燥のパーティが楽しくなって良いのだが、彼 女も気にしてるとなると、このままウケ続けるのもまずいんだろうな。







 scene 2 幕間の会話 



「先生、ありがとうございます。この台本さえあれば、あたし役になりきれます。きっと、あの人に 喜んでもらえる演技ができると思います。」

「喜んでもらえて嬉しいわ。配役の方は水城さんに確認してね。それから、外国のお客様は・・・ そうね、英語だけでなく、フランス語もあった方が効果的だから、亜弓さんを通じてハミルさんに お願いしようかしら。あとは、立ち振る舞いね。これも先生を見つけて連絡するわ。舞台のため の稽古だと思えば、きっとマヤちゃんのことだから、短時間で身に付くわ。」

「はい。あたしどんなに大変でも頑張ります!」







 scene 3 本番 



大都芸能20周年記念パーティー

これを機に大都芸能を離れ、大都グループ総帥に就任する真澄の離任式も兼ねているパーティ には、大都芸能関係者だけでなく、大都グループと縁がある財界の有力者も多数出席してい た。

「マヤ、支度はできたか?そろそろ行くぞ。」

控え室に使っているホテルの1室の扉を開け、いつものように緊張したマヤを連れ出そうと中に 入った俺は息を飲んだ。

光の加減で紫色に燦めく黒紫のイブニングドレスを優雅に着こなし、ぬばたまの黒髪に薄紫に 煙るレースを編み込んでアップにし、アメジストとダイヤをふんだんに使ったバラをモチーフにし たピアスとチョーカーを身につけ、たおやかに佇む美しい女性。

その女性は静かに振り向くと、俺に大輪のバラが咲きこぼれるような笑顔を向けた。

「マ、マヤ?」

「どこかおかしい?」

マヤは、微笑んだまま優美に首をかしげ、俺に向かって手を差し出す。

「い、いや。あんまり綺麗なんで言葉を失った。」

「嬉しい。ありがとう。あなたの喜ぶ顔が見たくて頑張ったの。」

俺は陶然としながらマヤの手を自分の肘に絡めて会場へと向かった。
重厚な扉が開かれ、会場に足を踏み入れた途端、万雷の拍手に包まれる。ありがたいことに 拍手の音で自分を取り戻せた俺は、傍らにマヤを立たせて、いつも通りそつなく挨拶をする。
言葉を締めくくり、マヤ共々壇上を退こうとした刹那、司会者が予期しないことを言い出した。

「では、続きまして、社長夫人の北島マヤ様からもご挨拶を賜りたく存じます。」

なっ!そんなこと聞いていない。だいたい舞台から降りたマヤは恥ずかしがり屋の大根役者 で、こんな大勢の前で挨拶などできるはずがない。
その場を取り繕おうとマイクに手を伸ばすと、それよりも早くマヤがマイクを握りスピーチを始め た。

「高いところから失礼いたします。北島マヤでございます。この度は大都芸能創立20周年記念 及び速水の大都グループ総帥就任発表の席にお忙しい中、これほどたくさんの方々にご臨席 賜れたことを感謝いたします。深く御礼を申し上げます。私は女優を生業としております関係 で、内助の功とはほど遠い状態でございますが・・・・・・・・・・・・。」

立て板に水のごとく、流ちょうなスピーチが続く。
背筋をしゃんと伸ばし、毅然として、それでいて優美な笑顔で場内に目線を送りながら滑舌よく 話し続けるマヤ。
俺は夢を見ているのだろうか?

会場に轟き渡る拍手で我に返る。
急いでマヤとともに礼をし、壇上を降りる。

スピーチのことを問い質す間もなく、列席者に取りまかれる。
いつものマヤであれば、自分の背後に隠れるように従うか、早々に壁の花になって水城君やマ ネージャーが運んできた料理を口にする。
それが、俺の肘に軽く手を添えて、真横に優雅に立ち、客たちと軽妙で教養あふれた会話を繰 り広げている。

「御社のホームページは私もよく拝見するんです。訪問者のことを考えたお散歩しやすい構造に 感心しております。私もファンの方に対してブログくらいと思うのですけど、勉強が苦手な上、不 器用で・・・・。」

自社サイトを褒められ感激した社長がマヤのためにテンプレートを用意すると言っている。
マヤ、俺は君がパソコンに触っているのを見たことがないぞ。

「あ、先生。先生の新刊拝見しました。アサーティブって始めどんなことだか全然わからなかっ たんですけど、相手を尊重しつつ自分の要求を伝え、感情的にならずに感情を表現するという 先生の説明を読んで、ああ、これは舞台を作っていくときの監督と役者のやりとりにも当てはま ることだと思って・・・・」

ア、アサーティブ?本来の意味は「自己主張が強い」だったな。確か、新しいコミュニケーション 手法ということで経済界で注目を集めている・・・・って、何でマヤがそんなこと知っているんだ? マヤ、俺は君が台本以外の書籍を手にしているのを見たことがないぞ。

頭の中を疑問符で一杯にしながらも、ホスト役として、マヤを伴って人の集まりを順繰りに進む。 ああ、次は外国メディアの集団だな。さすがにマヤは黙っているだろう。

!!!!

いきなりマヤの口から流ちょうなブリティッシュイングリッシュが流れ出す。
突っ込みを入れる間もなく、今度はフランス語が飛び出す。
マ、マヤ・・・・俺は君の高校の英語の成績を知っている。

横にいるマヤは気品があって秀麗で、これ以上ないほど完璧な社長夫人になっている。
何か悪い夢でも見ているのだろうか?

俺は軽い目眩を覚える。

それに気がついたマヤは、すかさず俺に合図を送り、会話の相手に中座する詫びを述べ、会場 の外に設けられた椅子へ俺を誘う。

「あなた、はいペリエ。アルコールよりさっぱりするかと思って。」

両手に持ったグラスの一方を俺に差し出すとマヤは横に腰掛け、美味しそうに自分のオレンジ ジュースを飲み干す。

「きっと疲れが溜まったんだわ。ここの所ずっと休みなしだったし。今夜はこのホテルに泊まりま しょう。ここから会社はすぐだし、屋敷に戻るより睡眠を取れるわ。」

「マヤ・・・君はどうしたというんだ?すっかり完璧な社長夫人に変身してしまった。以前のチビち ゃんは消えてしまったのか?」

俺の声に反応するように、隙のないカッティングが施された端正なダイヤモンドの仮面が外れ、 その下から愛くるしい春の女神のような笑顔が現れた。

「どうしてそんな風に思うの?とてもとてもあなたのことが好きだから、あなたに相応しくなりたい と思って頑張っているだけよ。私は何も変わっていないわ。」

シャンデリアの光が映り込み、キラキラと輝く潤んだ大きな瞳
ふっくらとして艶やかな、桃色がかった紅梅色の唇

抱きしめようとしたその瞬間、額にひんやりとした手のひらが当てられた。

「大丈夫?熱でもあるのかしら?顔が赤いわ。あと20分ほどでお開きだけど、会場に戻れ る?」

「・・・ああ、大丈夫だ。行こうか。」

まさかマヤに欲情して顔が赤いなどとは言えず、俺はマヤの手を取り会場へ戻り、終宴の宣言 をした。



「さすがね。休憩のために中座した際の脚本も作っておくなんて。」

「まあね。マヤちゃんの習性を考えると、仮面が外れたときのためにもう一つ仮面を被っておく必 要があると思ったのよ。だって、いつもの素のマヤちゃんが出てきたらすぐバレちゃうじゃない。」

「それでファーストレディの仮面の下にアルディスの仮面ね。社長の真っ赤な顔、久々に見た わ。あ、もう大方お客様は帰られたわね。社長とマヤちゃんに声をかけて、私たちも失礼しましょ う。」



「あなた、最後に水城さんたちにいろいろ確認されたりすることあるんでしょ?私、一足先に部 屋で待ってます。」

「ああ、すぐ行くから。」

エレベーターホールへ行きかけたマヤが振り返って、少ししなだれかかるようにして俺の耳元で 囁く。

「今夜はあなたに気持ちよく過ごしてもらうために何でもしちゃう。」

!!!!!

頭の中に充満する妄想と戦いながら、来客をすべて送り出し、秘書に撤収の段取りを確認し、 俺はマヤの後を追ってホテルの部屋へと向かった。







 scene 4 カーテンコール 



静かにスイートルームの扉を開ける。
ドレッサーの前でマヤがアップにしていた髪を下ろしている。

婉然とした微笑み。
誘うような魅惑をたたえた漆黒の瞳。

会場を後にする時にしなだれかかった妖艶なマヤの感触が腕の中で疼く。

「マヤ・・・」

背後からそっと近づき、覆い被さるように耳たぶにキスをする。
今夜は大人の女性に変身した君と・・・・。

「は、は、速水さん。な、何をするんですか。」

真っ赤になった豆狸が振り返った。

「えっ?」

突然いつもの状態に戻ったマヤの姿に呆然とし、ふと視線を落とした先に1冊の台本があるの を見つけ、反射的に手に取る。

『プレジデントアクトレス』

そこには今夜のパーティの様子が脚本となって再現されていた。
俺の台詞が括弧書きで(○○の趣旨の発言をすると思われる)と書かれている以外は、ほとん どそのままじゃないか。外国語に至っては一言一句、笑い声を盛り込む場所まで同じだ。

台本は、ついさっきエレベーターホールの手前で聞いたマヤの台詞で締めくくられていた。

急いでめくったページの末尾には、通常、冒頭にあるはずの配役とスタッフが記載されている。
本日の列席者のほとんどがキャストになっている。
それに続いて、秘書と秘書の友人の脚本家とマナー指導者、外国語指導として亜弓君の名前 がある。

裏表紙には『大都芸能最重要企画、速水社長壮行会プロジェクト』というロゴまでついている。
社員を含めた全員がグルか・・・・・。

「あ、あの、ごめんなさい。黙っていて。速水さんのためにちゃんとした社長夫人になりたかった んです。でも、どうしたらいいかわからなくて、水城さんに相談したら、演じれば良いのよって教 えられて・・・。それで、あの・・・。」

俺は、真っ赤になって説明する大根役者に戻ったマヤを抱きしめる。

「はは、俺ともあろう者がまんまとしてやられた。楽しい芝居だったよ。紫のバラを贈らないとな。 しかし、どうせならベットシーンまで書いてくれればよかったのに・・・。まあ、これはゆっくりと習 得していただこうか。」

ふわりとマヤを抱き上げ、隣の寝室へと向かう。

「あ、あの、速水さん、あたし、これからちょっとだけ出かけたいところが・・・。あ、あの水城さん たちの所へ・・・。」

「だめだ。芝居はまだ続いている。君にはまだ大人の社長夫人を演じてもらわないと。」

俺は愛しい妻のおしゃべりを自分の唇で塞いだ。







 scene 5 打ち上げ会場 



「マヤちゃんがここに来る方に賭ける人。・・・・・う〜ん、やっぱり賭けにならないわね。」

「当たり前よ。あの社長が許すはずないじゃない。今頃、部屋の電気も消えて、ムフフ状態よ。」

「それにしてもうまくいったわね。あの毅然として美しい姿、そのギャップに度肝を抜かれるとい う意味ではアルディス以来だわ。まあ、阿古夜はマヤちゃんと一心同体だから別格として。」

「そうそう、あのスラッとした姿勢と立ち振る舞い、身長が10センチ伸びたんじゃないかと思った わよね。それに流ちょうな英語とフランス語、あの時の社長の顔ったら、誰か撮影してないかし ら。それにしても、英語とフランス語の台詞のVTRまで用意してくれるなんて、亜弓さん、本当 にありがとうございました。」

「いいえ、私も速水社長のあんな面白い顔を間近で拝見できて楽しかったですわ。それにして も、マヤは芝居に絡めると何でもできるんですね。相変わらず強敵ですわ。」

「まあ、これ以上人数は増えないようだから始めましょうか。今回の企画立案料として実行委員 会からもらった20万円で美味しいワインも買ったし。
さあ、立派なファーストレディを演じたマヤちゃんと至福のひとときを過ごしているであろう社長と 大都芸能20周年に乾杯!」
 


<Fin>



アルフィン様コメント

くるみんさん、20万ヒットおめでとうございます!
「速水さんに演技をするマヤちゃん」というお題をいただき、切ない系シリアス物も頭に浮かん
だんですが、やはり、お祝いということで、 日常生活、特に速水さんの前では大根役者のマヤ ちゃんが、日常生活という舞台の上で演じたらどうなるかなという視点で作ってみました。一応 マヤちゃんの一人称は、劇中「私」、日常「あたし」で区別したつもりです。少しでも気に入ってい ただけたら嬉しいのですが。
くるみんさんは私にとって、サイト作り、管理人としての運営等の良いお手本です。これからも
よろしくお願いします。
くるみんさんの今後のご活躍と行方探し様の益々のご発展を強く祈念しております!




管理人コメント

「お祝いに何かリクエストがあれば書きます♪」
・・・というアルフィンさんの甘〜いお言葉に、どんなシチュエーションがいいかしらとあれこれ
考えてお願いしたのが「速水さんを前に演技をするマヤ」でした。
どう料理して頂けるのかしらとワクワクしていたら、大人な雰囲気のマヤちゃんを拝めることに!
速水さんの呆気にとられる顔が思い浮かびます。プロジェクトに参加した人達も楽しかったこと でしょうv 最後はしっかりとオイシイ思いをした社長・・・ベットシーンまで脚本が書かれていた ら、本当にその通りに実行したのか気になるところです!!

アルフィンさんお得意の水城さんとそのご友人、月宮さんの暗躍(?)されるお話、楽しませて 頂きました。ありがとうございますvv

サイトを開設されてからも勢いが滞ることなく、作品を発表され続けるアルフィンさん。そのサー ビス精神はこちらこそ見習わせていただきたいです!
これからも宜しくお願いいたしますねvv