ヘアカット  



マヤは緊張で少し肩をいからせながら、相手からの問いかけを待っていた。
自分が言うべき科白を、あれやこれやと幾つも頭で考えながら。
(だいじょうぶっ。平気よ。ちゃんと言えるよね!?)
どきどきと心臓が高鳴っている。
そうして言うべき相手が目の前に現れ、にこりと微笑まれて、マヤの緊張は一気に高騰した。


「いらっしゃいませ。本日担当させて頂く田中と申します。今日は、どんな風になさいますか?」
「あ…っ あの、ですね! その…え〜っと」
焦って発した言葉は、見事にちぐはぐだ。
「はい?」
俯いてしまったマヤを、目の前の女性は優しく伺う様にして見詰めている。
マヤは自分の慌てた様子を自覚するにつけ、かかかっと顔に血が集まる。
あれほど色々考えていたというのに、頭の中は見事に真っ白になってしまっていた。
「……あの あの、えっと。……その、ちょっと、伸びた分を切るくらい…で」
尻すぼみに出てきた言葉は、それまでに予定していた科白と全く違っていた。
「分かりました。では、まず先にシャンプーブースの方へお願いいたします」
「は、はいぃ…」
促されるままに彼女に先導されて歩きながら、マヤは
(ばかばかばか〜〜〜)
と自分の口を罵っていた。



 

鏡の中で、チャキチャキと軽快に動くハサミを目で追いながら、マヤは心の中で盛大なため息を
つく。(あ〜〜、もうっ! なんで、ちゃんと言えないのよぉ。。。)
静かな音楽が流れる白を基調にした美しい店内。
沢山のお客さんとスタッフで活気が溢れているが、それでもどこか上品な雰囲気を保っている。
ここは雑誌でも紹介されている、有名なヘアサロン。
芸能人で御用達にしている人も多いらしくて、なかなか予約が取れない店なのだが、聞けば亜弓 の行きつけだそうで、なんとか彼女に紹介してもらうことで来店できた。
忙しそうに店内を行きかうスタッフは、格好もヘアスタイルもみんなオシャレで洗練されているし、
来店しているお客さん達もなんだか綺麗な人ばかりだ。
そんな中で、マヤは自分がひどくここに場違いな気持ちが抑えきれず、ひたすら身を堅くして、
かちこちに硬直してしまっていた。
それまでマヤは髪を切るといえば、近所の行きつけの美容院か、下手をすれば同居人の麗に
簡単にカットしてもらっていた。
それで充分満足していたし、しょせんワンパターンの自分の髪型を切るのに、別に不足はなかった のだ。そんなマヤだったが、今日はなんと青山までわざわざ出てきて、こんな高級な美容院に来て しまっている。
マヤにしてみれば、まさに一大決心という気持ちだった。
でもやはり人間、無理して慣れない事をするべきではないのかもしれない。
いざ店に入ってからこっち、マヤはこの雰囲気に、どうしても馴染めない。
だからか、マヤは恥ずかしさが先に立ってしまい、ついに言い出せなかったのだ。
わざわざ亜弓に紹介して貰ってまで、こんな高級なお店で、髪を切って貰おうと思い立った、その
目的を。

『子供っぽく見えなくて、今より少しでも大人の女性らしく見える様に、思い切ってイメージチェンジ
しちゃって下さい』と。



 

「どうした? さっきから妙に大人しいな」
助手席で窓の外を見るともなしにぼんやりとしていたら、運転席から声がかかった。
顔を向ければ、運転席の彼はハンドルを操りながら、チロリと視線を投げてくる。
「えっ!? え…そうですか? 別にいつもと一緒ですよ〜」
マヤはそんな彼に向けて、にかっと笑ってみせる。幾分心のどこかで強がりな部分があるのは
否定できないが。
ふーん…、とマヤの笑みに納得したのだかしていないのだか分からない返事をして、彼は黙り
込んでしまった。
無言の車内で、マヤはまたぼんやりと視線を彷徨わせる。
そうしてマヤは、実際には吐けないため息を、心の中では未だ何度もついているのだ。

今日は珍しいことに、お昼から真澄の予定が空き、こうして午後からデートに出かけられることに
なった。
行き先は伊豆。真澄と付き合いだしてから初めての、お日様が出ている時間のデートだ。
1週間前にこのお誘いをもらったマヤは、飛び跳ねんばかりに喜び、今日の日を指折り数えて
非常に楽しみにしていた。
どんな服を着ていこう。
どの靴を履こう。
あぁ、前にプレゼントしてもらったあのアクセサリーをつけようか。
鏡の前で、連日何度も繰り広げられたファッションショー。
そして、ある日、はた…と思いついた。
思い切って、髪型を変えてみようか、と。
こんな昔から変わらない真っ黒ストレートじゃなくて、もっと変わったスタイルにした方がいいのかも しれない。
11歳年上の彼に、少しでも似合うような、そんなヘアスタイルに。
そしたら…、自分を何時まで経っても『ちびちゃん』と言ってからかう彼を、少しは見返せるかもしれ ない。


思い立ったら吉日とばかりに、マヤは早速当日朝に予約を入れることにした。
だが、これでいつもの行きつけの美容院に行くのも芸がない。
いっそ、気分を変えて、普段の自分だったら絶対行かないような店に、思い切って行ってみようか。 想いはどんどん膨らんで、ついにはそんな事まで思いついてしまった。
そういう経緯を経て、マヤは先ほどの美容院までたどり着いていたのだ。
彼との待ち合わせまでに間に合うように、朝の一番に(亜弓のコネでほぼ無理矢理)予約を入れて もらい、勇んで出かけてきたのに…
マヤはカットしたての髪を、一筋持ち上げ指に絡ませた。
(あーぁ…)
つるりと指から零れ落ちたその髪は、さらさらと落ち着き、マヤの髪型を元に戻す。
いつもと全然かわりのない、昔からのワンパターンのその髪型に。
少しでも綺麗に見えるように。少しでも大人っぽく、彼に似合うように見えるように。
今まで行った事の無いオシャレなお店で、そんな風にカットして貰うつもりだったのに… 
自分のぐずっぷりに自分ながらいい加減呆れてしまう。
(折角あんなに高いお金払ったのに… もうっ、ばっかみたい…っ!)
本当だったら、今頃素敵な髪型に変身して、もしかしたら真澄から何かしらの賛辞の言葉でも
貰えていたかもしれない。
『大人っぽくて、見違えた』とか。
『もうちびちゃんなんて呼べないか』とか。
もしかしたら……、『綺麗だな』なんて、言ってもらえたかもしれないのに!
ぐるぐると巡る妄想は果てしなく、マヤはもう済んでしまったことなのに、なんだか妙に諦めが
つかなかった。
ついつい不満のはけ口の様にして、いつまでも指でくるくると髪を弄くってしまっていた。




 
マヤの様子を横目で確認していた真澄は、車が赤信号で一旦停車した時、ふいに身を捩り彼女へ と腕を伸ばす。
そして髪を絡ませる彼女の指を、そっと押しとどめた。
「あんまり弄ると、髪が痛むから止めなさい。折角綺麗な髪をしてるんだから」
真澄はマヤの手から髪を解き、そのまま彼女の髪の毛にスルリと手グシを数回通して、マヤの
ストレートの髪を整える。
「ん、戻ったな。もう弄くるんじゃないぞ」
仕上げの様にポンポンと軽く頭を撫でてから、満足げに頷く。
それきり真澄は視線を前方へと戻した。
だがマヤは、真澄が優しく触れた感触が、髪1本1本に残っているようで、ほんのりと頬を染めて
いた。
しかも、さきほど本当に何気なく言われてしまったが…
マヤは信号が変わり、車を発進させる真澄の横顔を見ながら、
「…あの、わたしの髪って、キレイだと思う? ホントに?」
つい確認するように聞いてしまっていた。
あぁ、と返事をする彼に、マヤは更に聞かずにおれない。
「速水さんって… 私の、こんな風な髪、好き?」
言ってしまってから、マヤは真澄が一瞬僅かに目を見開いたことで、はっと我に返った。
ようやく自分のあまりにストレートな質問に気付いたのだ。
恥ずかしさに一気に真っ赤になった。その赤面振りに、言われた真澄は一瞬驚いた顔をしたもの の、徐々に可笑しそうに苦笑を浮かべる。
「あぁ、大好きだ」
彼にしては珍しく、ハッキリとそんな風に言われて、マヤはもう余計に顔の赤面が収まらなくなって しまった。かっかっかっと、本当に顔から火でも噴きそうだ。
だが、そんなマヤの様子は、余計に真澄の悪戯心を刺激してしまったらしい。
「髪を弄りたくなるほど、そんなに手持ち無沙汰なら、こうしてればいい」
車を片手運転しながら、真澄は先ほどまで髪を弄くっていたマヤの手を、もう片手でそっと握り締め た。大きな手に包み込まれて、さらにマヤの心臓はヒートアップだ。
「……片手で運転なんて…、アブナイよ」
「誰に言ってる。これくらい大丈夫だ」
真澄はとても楽しそうに、握る手にぐっと少し力を込めた。もう鼻歌でも混じりそうなくらいな上機嫌 である。
そんな彼を見ていたら、マヤもしだいにくよくよと考えているのは、今のこの時間をとても勿体無く
過ごしてしまっているのだと思い直した。
ワンパターンで変わり映えのない髪型だって、真澄が好きだと言ってくれただけで、もういいや、
と思える。
(だって、『綺麗』って、言ってくれたもん。私の髪、キレイって!)
現金だとは思うが、マヤはうってかわって、自分の気持ちがうきうきと浮き足立つのを感じていた。
走る車の中では、また互いに無言になっていたが、明らかに先ほどとは漂う雰囲気が違う。
マヤは真澄の手をきゅっと握り返しながら、ひどく幸せそうな笑みを浮かべた。








<Fin>




RIBI様コメント

これはまさか作品として掲載していただくとは思ってなかったのですが…
訪問者の方々、お見苦しいものを申し訳ありませんm(_ _)m
今回くるみんさんと、密にメールを交す機会に恵まれまして、その際、くるみんさんがふらっと添付 してくださったイラストに、じゃぁ…とばかりにそのイラストを見て浮かんだ妄想を、返信メールの際 に書き殴ったシロモノです。
私は時たまやるのです、これ。
一応校正などして悪あがきはしましたが、これ以上は私には無理でした。
これは、あくまでくるみんさんのイラストがメインですので! 
どうぞさらっと読んで、さらっと忘れてください。お願いします。




管理人コメント

メールに添付した落書きを元にRIBIさんがSSを書いてくださいましたvv
RIBIさんはよく絵から文章を起こされるというお話を聞いていたもので、「こんな感じのものしか描 いてませんが」と手元にある絵を送ったら、頂いたお返事にはこんなにほんわかとした小説が・・。
メールをするついでに普段描き散らしている絵を添付して、その中の一つくらいがRIBIさんの創作 心を動かしてくれたら面白いなぁという程度の気持ちだったのですが、まさかこの絵でお話が一つ
できあがるとは思ってもみませんでした。
自分で描いておいて何ですが、この絵からどうやってストーリーを作ればいいのか、という感じです もん。RIBIさんの豊かな想像力には本当に拍手喝采です!!



美容院で髪型を変えようと思っても言い出せなかったマヤちゃんが、とっても彼女らしくて微笑まし くて、読んでいてほのぼのとした気持ちになりますv
(もっとも亜弓さん紹介の美容院なんて、どんな髪型にされるのか興味は尽きないところではあり ますが)
そして結局元のままの髪型で、自己嫌悪に陥っている彼女を救ったのは速水さんの言葉。

綺麗な髪をしてるんだから
「あぁ、大好きだ」

こんなことを言われたらマヤちゃんでなくても照れますわーーvv
時には素直に言葉を出すことも大事よねっっなどと多少論点のズレたことを思いつつ、顔のニヤけ が止まりませんでした♪
大好きな人が褒めてくれる・・これほど嬉しいことはありませんよね。


RIBIさん、可愛いお話をありがとうございましたv
本当は「web拍手でならOK」ということでしたが、これを最終的に眠らせてしまうのはあまりに勿体 無くて、RIBIさんの伝家の宝刀「ページ化をしてから使用確認」をさせて頂きました。これは効果抜 群ですね♪♪
両サイト間で行われる攻防戦・・・忘れた頃にまた巌流島から挑戦状を叩きつけに行きますわ、
武蔵様v




※今回挿絵として使っている絵は鉛筆描きに着色をしたものなので画像としてはかなり暗めです。 そのためペンを入れようかとも思ったのですが、絵の雰囲気が変わってしまいそうなので、あえて そのままの状態で使わせて頂きました。