初詣ラプソディ





キャスティング

北島マヤ:さわ  速水真澄:RIBI  青木麗:RIN・RIBI・硝子  桜小路優:くるみん 
麻生舞:硝子  月影千草:堕天使  姫川亜弓:yuri  聖唐人:アイリーン
(敬称略)



 今年一番の綺麗な朝陽。それは一切の区別も差別もなく遍く降り注ぎ新しい年が明けたことを祝 福する無限のキスを落としてくれる。それは大きな屋敷に住みながら心にぽっかりと開いた穴を抱え る若き社長の上にも、狭く小さなアパートの一室に住みながら大きな希望を胸に燃やし続ける少女 のような女優の上にも。

“紫のバラの人から着物が届くなんて…” 
 古ぼけたアパートの一室で、マヤは不釣合いに豪華な振袖を開いていた。マヤにはその高級さが わからないだろうが、見る人が見れば一目でわかる、手書きの友禅だ。薔薇の輪郭を銀の粉で飾ら れたそれは誰が聞いても驚きで思わず目を丸くするような金額だろう。しかも贈られてきたのは着物 だけではない。着物に合わせた華美な袋帯、揃いのバッグと草履、ふわふわとした純白のショー ル。勿論襦袢や半襟、帯揚げ、帯締めなど、一切が揃っており、今すぐにでも着ることができるように 欠けているものは何一つない念のいれようだった。だがそれらを見つめるマヤの瞳は明らかに途方 にくれた彼女の心の模様を映し出している。
“しかも紫のバラの絵柄が入った着物…私には大人っぽくないかな”
 一面に紫色の大輪の薔薇で埋め尽くされた大振袖。薔薇の色は、肩の部分では白に近いほど淡 く裾にいくほど濃くなっている。まるで彼を恋する気持ちが自分の中に積もり落ち、体の中から染め 上げていく様にも見えてマヤは思わず戸惑う。この着物を着ることがまるで彼への恋心そのものを纏 うように思えてしまうのだ。袖を通せば改めてその想いを自覚することになり、それにはかなりの覚 悟が必要だった。

 一方同じ頃、送り主である真澄は窓から自室に惜しみなく注ぐ汚れのない朝陽に身を晒しつつ一 人恋しい人を想うのだった。
“ちびちゃんの振袖姿はきっときれいだろう…”
 「想う」と言うよりはむしろ「妄想」と言った方がしっくりくるような、人が見れば不気味にすら見えて しまう笑みを頬に貼り付けながら・・・。



 リーン リーン
 黒電話のベルの音が響き渡る。
「もしもし?優?」
 声の主は桜小路の彼女を気取る舞だった。黒電話のベルは桜小路の携帯の着信音なのだ。
「あたし、舞よ。明けましておめでとう!」
 舞、これは携帯だから、登録さえしてあれば発信者の名前が表示されるから一々名乗らなくてもい いんだよ、と過去に数え切れないほど繰り返した説明を再びしようと思ったが、新年早々あまりにも 不毛な会話に思えてその言葉を飲み込む桜小路。当たり障りのない言葉を選んで返すことにした。
「あ、舞・・。おめでとう」
 改まった年、一番最初に言葉を交わした相手が切ない想いを抱き続けたマヤではなく、まとわりつ いて離れない舞であったことに幾らかの苛立ちを感じる桜小路。舞が離れていかないのは己の優柔 不断な態度のせいだとは全く気がついていないのだろうか。
 勿論それは、あからさまに自分対してよそよそしい態度を取り続ける桜小路の心情を読み取ること なく自分の想いだけを押し付けていく舞自信にも原因があるのだが。案外この二人は割れ鍋に綴じ 蓋でいい関係なのかもしれない。
「ねぇ、もう初詣には行った?」
 元日の朝っぱら、こんな時間に行くわけがない。勿論もしもマヤから一緒に年越しの鐘の音を聞こ う、などと言われれば徹夜も辞さないつもりで一晩中彼女からの連絡を、携帯を持ったまま待ち続け たわけだが、そんなことはおくびにも出さずさりげない風を装う桜小路。
「いや、まだなんだけど、舞は?」
「まだ。だって、優と一緒に行きたかったから・・・。」
 なんて愛らしい言葉なんだろう。もしもこれがマヤから聞かれたのなら。だが相手は舞である。なん となく妹の玉美の面倒を押し付けられた時の気持ちを思い出す桜小路だった。
“マヤちゃんを誘おうと思ってたんだけど・・しょうがない”
「じゃぁ、川崎大師にでもお参りに行こうか」
 実はイヤイヤなのだが、そこは幼い時から役者として活躍してきた演技力で心のうちを見せない桜 小路。もっとも多少見えてしまったとしても相手が舞では気づかれる心配はないのだろうが。
「うわぁっ!嬉しい!!じゃぁ、わたし、着物を着ていくわね!」
 心底嬉しそうに叫ぶ舞の声を聞くと、思わず桜小路も口元が緩んだ。そう言えば玉美も小さい頃、 どこかに連れて行ってやると言ったらこんな風に喜んだっけ。幼い頃の妹の嬉しそうな笑顔を思い出 し、優しい口調で舞に話しかけるのだった。
「じゃぁ、30分後に迎えに行くよ」
「うん♪待ってる!じゃぁね!!」
 ブツリと切られた通話の糸。きっと舞は母親にせがんで着物を出してもらい、着付けをねだるのだ ろう。玉美も今頃は同じようなことをしているのかもしれないな。一人暮らしのマンションで、年末ぐら い実家に戻ればよかったかな、との思いがちらりと頭を掠める桜小路だった。


「ねえ、麗。着物の着付けってできる?」
 華麗な振袖から目も逸らさず、マヤは思い切って姉同然の麗に尋ねてみる。出来ない、と言われ たらこの振袖は着なくてもいいのだ。袖を通してみたい気持ちは勿論ある。愛しい人からの心を隠し た贈り物なのだから。彼が自分を喜ばせようとあれこれ手配し指図してくれたであろうこの振袖は、 今はもう振袖以上の意味を持ってしまっている。それはわかっているのだが、着てしまえば自分の 隠していた恋心が見る人にも知られてしまう気がするのだった。ばかなことだと自嘲しながら、袖を 通して身を飾ってみたい思いと恋心の形代として大切にしまっておきたい思いとの間で揺れ動くマヤ は、とうとうその判断を麗に預けてしまったのだ。
「出来るよ、何?着物着るのかい?マヤ」
 自分にそんな重大な決断を預けられたことに気づかないフリで麗は答える。麗としてはその振袖は やはり着るべきだと思えた。自分が背中を押してやることで決心がつくのなら、お安い御用だ。
「うん…、折角だしこれを着て初詣に行って、紅天女の祈願をしてくるわ」
 投げた賽が出した答え。マヤはそれに従うことにした。そう言えば麗は喫茶店のバイトだけでは食 べていけないので一時期美容室でもバイトをしていたことを思い出したマヤ。もしかしたら自分でも気 づかずにこの振袖を着たいと思っていたのかもしれない。

「紫のバラの着物ねぇ 相変わらず何でも送ってくるね、あんたのあしながおじさんは」
 そんなことを言いながら、足袋をはいたマヤに肌襦袢、裾よけ、長襦袢と手際よく着せていく麗。細 すぎる体にタオルを何枚も重ねて補正し、襟の袷具合、襟足の下げ具合が決まれば伊達締を締め いよいよ振袖に腕を通す。裾線を決め、腰紐で結びおはしょりを整える。掛け襟を合わせコーリンベ ルトで止めれば次は帯だ。帯板をあて、何度か巻いて長さが決まれば帯揚げにくるんだ帯枕で帯の 高さを決める。可愛らしい「ふくらすずめ」に結びあげた帯の上から帯締めをきっちりと結び、最後に 帯揚げを整えればもう出来上がりだ。次々と自分の体に着せられていくそれらを突っ立ったままで眺 めていたマヤはつくづく真澄の財力のすごさを思い知るのだった。おそらくこのどれ一つとっても最高 級のものに違いないのだ。
“速水さんのポケットマネーってすごいんだな…”
 そんなことをぼんやり考えていたマヤを、麗の声が現実に引き戻す。
「ホラ、綺麗に出来た。ついでに頭もアップしてあげるよ」
 マヤを鏡台の椅子に座らせ手際よく、その長い滑らかな黒髪を結い上げていく。その器用な手つき を鏡越しに見つめながら、不安そうに呟くマヤ。
「ありがとう、麗。…ねぇ、おかしくない?あたし」
 大人びた柄が自分に似合うのか不安なのだろう。麗はそんなマヤの不安を吹き飛ばすようにマヤ を励ました。
「あんたも綺麗になったよ。男の一人や二人ほっとかないんじゃない?」
 そんなこと・・・、などと恥らうマヤの両肩をぽん、と叩いて麗はその肩にショールをかけてやりバッ グを手渡すなど彼女を送り出す支度を始めた。
「ほら頭も出来た。ちゃんと祈願しておいでよね」
 麗の言葉が呪文のようにマヤの心を軽くしていく。ようやく心を決めるとマヤは素直に差し出された バッグを受け取って明るい笑顔を向けるのだった。
「うん、ありがとう!行って来るね」
 一旦ドアノブに手をかけたマヤだったが急に思いついたようにこちらを振り返る。
「あ、ついでに月影先生にも年始の挨拶に行って来るね。麗も行かない?」
 だがそう言われた麗は鏡に映る自分の姿を眺めた。セーターにジーパン姿である。それに今マヤ の着付けに使ったものの後片付けもしなくてはならない。
「そうだね、あ、でも後から追いかけるよ」
 マヤを送り出し、腕まくりをして片付けを始める麗だった。

 アパートを出たマヤ。なぜかちょうど通りかかったタクシーが彼女の元にすっと寄って来る。何も考 えずに出かけたマヤだったが、慣れない草履で恩師の家まで歩くのはさすがにムリがあることに気 がついたらしい。何の疑問も持たずにそのタクシーの運転手に声を掛け乗り込んだ。帽子を目深に 被り顔を見せまいとするかのように片方の目を隠した運転手は、静かにギアをローに入れ発進した。
 その頃真澄はマヤにつけていた聖が動き出したのを知った。
“よしストーカーさせていた聖から連絡が入った!ちびちゃんが着物を着て出かけたらしい”
 傍目にも嬉しそうにドレッサーの扉を開き、中のスーツを物色するのだった。



 同じ頃、マヤと紅天女を競い合う亜弓も晴れ着に着替え家を出るところだった。
「もうアレクサンダーったら!今日はだめよ。帰ってきたら遊んであげるからね。あっもうこんな時間だ わ!急がなくちゃ!」
 じゃれつく愛犬をなだめつつ急いで待たせてある車に乗り込む亜弓は、そんな仕草さえもお嬢様ぜ んとして美しかった。



 往年の名女優にして日本演劇界の幻の名作と謳われた戯曲「紅天女」。原作者に認められたただ 一人の女優であり、その上演権を手にする彼女は梅の谷と呼ばれる神秘的な土地に居を構えてい る。しかし寒さの厳しいその土地から、今は避寒地としてこの東京に移り住んでいるのだった。
 マヤは源造にかしずかれて静かに暮らす師の家の玄関チャイムを押し、その到着を告げた。
「源造さん、先生いらっしゃいますか?」
 源造はひとしきりマヤとの再会を喜ぶとすぐに奥へと戻って行き主人、月影千草を呼んで来た。
「マヤ、何のようですか?」
 たとえ熱帯夜であろうともクリスマスであろうとも同じ漆黒のドレスを着ている月影は、やはり元日 の今日も同じ装いだった。何度も死線を彷徨ったはずの重病人であるはずなのに、こうして今年も元 気に正月を迎え、お餅を喉に詰まらせたことすらない師の頑強さに、幾分呆れるマヤであった。
“月影先生ったら、病院にも入らないで自宅療養なんて”
 だが勿論そんなことを口に出すはずもない。正月に訪れるといったら年始に決まっているにも関わ らず「何をしに来たのか」などとつれない相手にも礼儀正しく年始の挨拶をするマヤだった。
「先生、あけましておめでとうございます」
 そこに現れたのは亜弓である。驚いたようにマヤの顔を見るのは、決してマヤがここにいたからで はない。紅天女を次代に残そうとする師の元を愛弟子のマヤが訪れるのは当然のことだ。驚いたの は同じ時間帯に来たことの偶然の方である。
「あら、マヤさん。あけましておめでとう。あなたもご挨拶に見えたの?」
「あなたもいらしたの亜弓さん」
 マヤは、まだ慣れていない恩師の家を珍しそうにきょろきょろ眺めている時にうっかり見えてしまっ た奥のお節料理が気になって仕方がない。
“あ、おせち…おいしそう♪じゃなくて”
「亜弓さん!」
 驚いた様子で亜弓に声をかけるも、なんとなく白々しさを隠し切れないマヤだった。もう、今は食べ 物のことしか頭にないらしい。
 そこへ大柄な男性が玄関の鴨居をくぐるようにして入ってきた。
「やあ、ちびちゃん君も来ていたのか 偶然だな」
 颯爽と入ってきた真澄は、聖からの報告でマヤがこの場所に来たことを知っていながら偶然を装っ ている。そんなこととは露知らないマヤは純粋に驚いていた。
「速水さん!」
 まさに、マヤの頭から食べ物のことが消えた瞬間だった。
「真澄さん、あなたまで...」
「あけましておめでとうございます。先生、今年もよろしくお願いいたします・・・あら、速水社長まで」
 新年の挨拶を始めた亜弓は新たなる客に驚いた。よく見れば師である月影はなんだかもう、諦め たような表情さえしているではないか。だがそんなことには気にも留めず真澄は月影への挨拶をする のだった。
「月影先生、おめでとうございます」
「あけましておめでとうございます、みなさん」
 本当は、正月など祝うつもりはなかった。世間並みにお節料理などは源造に揃えさせたものの、元 日であろうといつもと変わりなく暮らすつもりの月影には新年の挨拶などわずらわしいだけなのだ。 早く紅天女を引き継がなければ、自分の命はいつ終わるとも知れない。
 マヤはと言えば思いがけなく現れた真澄にうろたえてしまっている。なんとか着物のお礼を言いた いがそれも叶わない身の上なのだ。ただ「あの…あの…」などと小さく呟いてみるのだがその傍から 自分でそんな自分を叱るのだった。
“馬鹿ね。着物のお礼なんて言えるはず無いじゃない!だって…、私が紫のバラの人の正体に気付 いているなんて速水さんは夢にも思ってないに違いないもの”
 そんなマヤの様子に気がついたのか、それとも偶然か、亜弓がマヤの着物を褒めだした。
「マヤさん、素敵な振袖ねえ。紫の薔薇だなんて・・・ちょっと見ない柄だわ・・・」
 さすがに亜弓にはマヤの着物の高価なことが一目でわかったようだった。思わず、と言った風情で しげしげと見つめている。
 同じようにしげしげとマヤの晴れ着姿を見つめるもう一つの目。真澄である。自分の贈った振袖が これほどマヤに似合うとは思っても見なかったのだ。もう、感動すら覚える。だがそれを素直に口にす ることもできない真澄はついいつものようにマヤをからかってしまうのだった。
「ちびちゃん、なかなか綺麗じゃないか、着物が」
「どーせ!馬子にも衣装って言うんでしょう?」
「そんな事は言ってないさ。相変わらず紫のバラが好きなんだな君は」
 そこに遅れてやってきた麗が現れた。だが思っても見ない玄関の人口密度に驚きを隠し切れな い。
「明けましておめでとうございます!って・・・。随分たくさんお揃いなんですねぇ、先生・・・」
 と、よく見ればマヤと速水社長が何やら口論しているではないか。
「マヤったら、また速水社長とケンカかい?本当に、あんたたちは仲がいいんだか悪いんだか・・・」
 呆れ顔の麗に、上機嫌の笑顔で真澄が話しかける。
「やあ青木くん。おめでとう ちびちゃんは正月から元気で困るよ」
「おめでとうございます。ほどほどにしてやってくださいね、速水社長」
 玄関がだんだん騒然としてきた。こうなってしまってはもう、静かな正月など無理な話だ。月影はた め息混じりに全員に向かって言葉をかけた。
「とにかく落ち着いて話をしましょう。おあがりなさい」
 ところがその言葉を聞いた途端に突然大きな音が聞こえてきた。
 ぐぅ〜
 音の原因はすぐにわかった。マヤが慌ててお腹を押さえたからだ。
「きゃっ、あたしったら…」
 これだけの人たちの前で大きな音でお腹の虫が鳴くとは・・・。さすがマヤである。呆れると言うより 姉代わりとしては恥ずかしさの方が先にたつ麗はがっくりと肩を落として一言その名を呼ぶと、もうそ れ以上は何も言えなくなってしまった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マヤ・・・・・・・・・・・・・・・」
「あらまあ、マヤさんったら」
 亜弓も呆れ顔でマヤを見ている。だが一人だけ嬉しそうなのは真澄である。朗らかな声でひとしき りはっはっはっは、と笑うのだった。
「だって、だって、着物って締め付けが苦しくて、おせちも食べれないのよ」
 言い訳に忙しいマヤを促し真澄は家の中へと入っていった。そもそもこの家も真澄が用意したもの だったのだ。
「腹の虫が先に返事してるぞ、ちびちゃん ほら早くお邪魔しよう」
 靴を脱ぎ、それを揃えながら麗が文句を言う。自分の着付けの仕方が悪かったと言われているよう なものだ。そもそも着付けは上手にすればきついと感じないものだとバイト先の美容院の先生に教 わったからだ。
「失礼だな。あたしはそんなにきつく締めてないよ!」
「じゃあ、…いつもどおり食べられるかな?」
 そんなマヤの返事にうんうんとうなづきながら麗は亜弓を振り返った。
「それにほら、亜弓さんだって振袖を着ているけど、そんなこと一言も言ってないじゃないか」
 話をふられた亜弓はごく当たり前のように涼しい顔で答えた。
「子供の頃から慣れてますから」
「ちびちゃんは今年も色気より食い気かな」
 そこに真澄も加わって再びマヤをからかう。真澄に悪気はないのだろうが、マヤはなんだか惨めな 気持ちになってしまった。
「ぐ…、どうせアタシなんか…」
“やだな、速水さんの前でこんな子どもっぽいこと”
 こんな時に信じられないドジっぷりの自分を恨めしく思いつつマヤは月影の後に続いて座敷へと入 って言った。
 床の間を背に月影が座り、一同を見渡す。
「ところで、マヤ!亜弓さん!紅天女の試演がせまってますが、出来はどうなのですか?」
 そう。10月10日に予定されていた試演の日程であったが、会場となるシアターXの整備が遅れて 年を越すことになってしまったのだ。そしていついかなる時にも彼女の話題はこれしかない。
「先生、あたし、もう少しで掴める気がしてるんです!」
 最初に答えたのはマヤだった。何かしら勢いのようなものを感じるその様子に、月影も満足げであ る。
「そうですか。それはよかったこと」
「ええ…待っていてください」
 マヤが横目で真澄を見つめていることには気がつかず、月影は次に亜弓の方に問いかけた。
「亜弓さんは、どうなのですか?」
「私も掴みかけています!今朝の初夢で・・・はっ!」
 マヤに負けじと亜弓も勢いよく答えたが途中ではっと口をつぐんでしまった。何か人には言えない ようなことを言いそうになったのか。
「亜弓君、初夢とは?」
 真澄が亜弓の様子に異変を感じて問いただしたが、亜弓の方では答えるつもりはないらしい。
「い、いえ何でもありません・・・」
 言葉を濁し、自分の思考に沈んでしまった。
“言えない・・・夢の中でハミルさんとデートしてたなんて”
 どうやら彼女は恋の予感を感じているらしい。恋する乙女、阿古夜の演技で重大な何かを掴めそう なのだろう。そんな亜弓の様子にマヤは危機感を感じるのだった。
“亜弓さん…、もう既に何か掴んでるのね。あたしのライバル…!!”
 睨み付けるように自分を見つめているマヤの視線に気がついた亜弓もまた、彼女を見つめ返す。
“恋の演技が完成しそう・・・負けないわ!マヤ!”
 二人の視線のぶつかり合う場所では飛び散る青白い火花が見えそうだった。正月だと言うのにな んだかだんだん剣呑な雰囲気になってきたと感じた麗は、みんなの気持ちを切り替えるためにマヤ に話しかけてみた。
「ところでマヤ、初詣はまだなんだろう?そろそろ行かないかい?」
「そうね、亜弓さんは?」
 ふいにマヤから尋ねられ、亜弓はちょっと拍子抜けした気持ちになってしまった。
「え、ええもちろん。ご一緒させていただくわ」
「えーと、月影先生は…どうされますか?」
 若い女性3人の会話を傍で聞いていた真澄が恨みがましく呟く。
「薄情だな。俺は誘ってくれないのか?」
 ひどく意外なことを言う、と思わず驚いた顔で真澄を見つめるマヤは、うっかりとても失礼なことを言 ってしまった。
「え?速水さん…、あなたも行くんですか?」
「なんだか行って欲しくないような口ぶりだな」
 マヤの失礼な物言いを聞き逃さない真澄は、つい恨み言を言ってしまう。
「いえ…」
 真澄に言われて初めて自分の言った言葉の非礼さに気がついたマヤ。思わず唇を噛みしめてしま った。
“嬉しいのに…なんで素直になれないの・・・”
「せっかくだから、素晴らしい紅天女が誕生するように俺も祈願させてもらうよ」
 これに対し月影は彼らを見送ることにしたらしい。やはり体も弱っているのだろう。
「いってらしゃい、私はここで、あなたたちの紅天女が完成されるのを祈っているわ」
 その言葉を背に、月影、源造に見送られてマヤ、亜弓、麗、真澄の4人は出かけて行った。





 元日の朝、神社は大変な混みようだった。小さな子供たちを連れた家族連れ。互いに労わりあう老 夫婦。晴れ着で着飾る大勢の若い女性。彼女らに寄り添う若い男性たち。晴れ渡った元日の空の 下、大勢の人々が2本の川となって流れていく。神社に詣でる人の流れと詣でて帰る人の流れであ る。それらの流れに圧倒され、思わず桜小路は隣の舞を見た。
「凄い人込みだね、舞」
 桜小路としてはただ単に人の多さの感想を述べただけだが、それが命取りになってしまった。
「そうね・・・」
 舞は俯き、それから恥ずかしそうに隣に立つ彼の顔をそっと見上げた。
「ね、優。なんだかはぐれちゃいそう・・・」
 確かに万一はぐれてしまっては、この人ごみで探すのはさぞかし骨が折れるだろう。玉美を見失い 散々苦労して探し出した過去が桜小路の脳裏に鮮明に甦ってきていた。
「離れないように注意して・・ほら」
「♪ありがとう、優。優しいのね」
 差し出された手を嬉しそうに握る舞。桜小路としては単に妹に手を差し伸べたつもりだったのに、ど うも舞の様子は違って見える。それが少しばかりうっとうしく思えるのだった。
「いや・・、舞、おみくじをひくんだろ?行ってみよう」
 話題をそらす桜小路。だが舞はそんな彼の葛藤などには気がつかない。うきうきと嬉しそうに頷く のだった。
「うん♪」

「ちびちゃんなれない着物で転ばないようにな」
「もぉ、子どもじゃ・・・きゃ…」
 聞き覚えのある声に、舞と桜小路は二人揃って振り返る。
「あ・・・」
「!?」
 二人の目に入ったもの、それはひどく一目を引く4人連れだった。小柄な体を見るからに高価そうな 紫色の大振袖に包んだ少女、これまたあでやかな大振袖姿の姫川亜弓。その二人をエスコートする のは華奢な体をラフなジャケットで包んだ長身の中性的な顔立ちの美しい麗と、更に長身の優男な がら男性的な魅力が匂い立つような大都芸能の社長、速水真澄。この4人が一つのグループとなっ て歩いているのだ、目立たない方がどうかしている。
「あれは・・・?速水社長・・・?それに、亜弓さんも!」
「一体どういう組み合わせなんだろう」
 舞が驚けば桜小路も考え込んでしまった。
 そんな彼らには気づかず、真澄は相変わらずマヤが転ぶのではないかと心配している。
「ほら、危ない。しかたないな、つかまりなさい」
「あ…ありがとうございます・・・」
 差し出された真澄の腕に縋りつき、思わぬ密着に心のときめくマヤだった。
“速水さんの香りが近くに感じる…”
 まるで恋人同士のような様子のマヤと真澄を見て、心穏やかではいられない桜小路。気がつけば 二人を睨みつけるように見つめていた。
「優?どうしたの?怖い顔をして・・・」
「そんなことないさ。挨拶に行こう、舞」
 舞は桜小路に誘われ、「うん・・・」とためらいがちに頷いたものの心の中では抵抗を感じていた。
“マヤさんがいる・・・なんだかヤだな・・・”

「明けましておめでとう、マヤちゃんv」
 嬉しさを堪えきれないのか、桜小路は満面の笑みでマヤのすぐ隣に立つ真澄をまるで無視して新 年の挨拶を述べた。
「明けましておめでとうございます、みなさん」
 舞が桜小路に倣う。
「あけましておめでとう、桜小路くん」
 今度は麗が桜小路に声を掛けた。
「桜小路くんと舞さん…、あ、あけましておめでとう」
 マヤも二人に挨拶をする。舞のことは苦手なマヤだったが今日は元日、まさか挨拶をしないわけに も行かない。
「やぁ桜小路くん、デートかい手までつないで…正月から仲がいいね」
 真澄は桜小路をからかうように舞とつないだその手を指摘してやった。共にマヤに想いを寄せる者 同士。わずかな油断でも見落とさずに蹴落としてやらねばなるまい。
「ヤだ、見られてましたか?恥ずかしい・・・。ね?優♪」
 痛いところを指摘され、目は焦点を失い白目状態、顔にも青筋が立つ桜小路。そんな桜小路にお 構いなしに嬉しそうにはにかむ舞だった。全く空気が読めていない。そこが舞の強さの所以だろう か。
「おめでとうございます、速水社長」
“しまった、忘れてた!手を繋いでいたんだ・・っ。”
 当然マヤにも見られたことだろう。これは大きなマイナスポイントだ。桜小路は激しく後悔し、今更な がらに舞との手を振り解くのだった。
“あんっ、どうして急に手を放すの?優ったら・・・”
 いい加減気づけよ、舞。
「忙しい大都芸能社長がこんなところで初詣ですか?」
 まるで今の真澄の言葉など聞こえていなかったように振舞う桜小路。男らしくない態度と言えるだ ろう。
「天女様たちのお誘いでね。それにこのちびちゃんが危なっかしくて、ほおっておけなくてね」
 マヤは自分の子供っぽさに話が移りそうになったので慌てて紅天女の話を持ち出した。
「桜小路くん、この年末のお休みで仏像完成した?」
「それが不器用でさ、全くダメ」
 その話を始められてしまっては話しについていけない。そこで舞はみんなの晴れ着を見比べてみ た。自分の振袖は成人式に母が買ってくれたものである。決して人と比べて遜色ない品物を買って もらったと思っていたが、やはり亜弓の着物は比べ物にならない素晴らしいものだった。
「それにしても・・・、亜弓さんの振袖、なんて素敵なの?金糸の刺繍なんて・・・。きっと高いんですよ ね?亜弓さん?」
 亜弓は少し恥ずかしそうにその袂や裾を見ている。
「ええ。紅天女にちなんで、紅梅の刺繍も・・・パパったら気が早くて・・・お恥ずかしいわ」
「すごく素敵!!で、マヤさんのは・・・・・・?」
 舞は素直に亜弓の振袖の美しさに感動しているようだった。振袖は確かに綺麗だが桜小路にはど うでもいいことに思えた。何しろここに来るまでも歩きなれない草履や着つけない着物のせいで舞に は気を遣わされたのだ。
“仏像完成とマヤちゃんとの恋愛成就を祈願しに来たのに・・ヘンな方向になってきたな”
 舞は舞で今度はマヤの着物の柄に注目していた。
「紫色の・・・・・バラ・・・?か・・・、変わった柄ねぇ・・・」
 舞の何気ない一言は思わぬ波紋を呼んだ。まず桜小路が素っ頓狂な声で「紫のバラ!?」などと 叫んでしまった。マヤも「ヘンかしら?」などと改めて袂の柄などを見直しているし、真澄もマヤにはぴ ったりだと思っていた着物の柄を変わっている、などと言われて大いにうろたえ、“へ、へんなの か?”などと言葉には出さずに呟いていた。
 迂闊なことに、桜小路はマヤを見た瞬間、その顔にばかり気を取られて晴れ着の柄にまで目が行 かなかったのだ。なるほど舞の言葉に見てみればマヤの着物は確かに大輪の紫色の薔薇が上から 徐々にその色の濃さを増して咲き乱れているではないか。
「って・・まさかそれも例の足ながおじさんが?」
 自分にはこの振袖は似合わないのかと心配するマヤに「い・・いや、似合ってるよ」などと言いつ つ、その内心では謎の人物「紫のバラの人」が誰なのか疑問が沸いている桜小路だった。何しろい くら独身男性の桜小路といえど振袖が高価な物である事ぐらい承知している。そんな高価なものを ほいほいと買ってやれる財力があるのだろう。もしかしたら大変なお金持ちかもしれない。
「そうなの、桜小路くん」
 桜小路の言葉をあっさり肯定するマヤ。やはり大層な金持ちだ。そんな金持ちがなぜここまでマヤ に執着するのかがまるでわからない桜小路だった。

 子役時代からのスター姫川亜弓。最近さわやか路線で売り出している桜小路優。その傍らにしが みつくようにして立つ舞。人目を引くほどハンサムな麗。小柄ながら華麗な振袖を着て彼らの中心に いるマヤ。そして大都芸能の社長、速水真澄。いやでも人目を惹く集団は今では6人に増えていた。 人々はひそひそと言葉を交わしあいながら遠巻きにその6人を見つめている。そんな中に、初詣には 似つかわしくない風体の男がひとりいたとしても誰も彼には注意を向けなかった。だがその男の手に は冷たく輝く凶器が握られていたのだった。
「あっ!!キャァ!!どうしよう?優!!」
 最初に気がついたのは舞だった。突然の悲鳴に桜小路も慌てる。
「どうしたんだ、舞?」
「振袖の袖が・・・!切られてるっ!!」
 涙を浮かべながら桜小路を見上げる舞。確かに舞の振袖の袂は大きく切り裂かれていた。
 周囲の人間もその騒ぎにどよめき始め、ただならぬ雰囲気が神社全体を覆い始めた。
「何の騒ぎ?」
 マヤは何が起こっているのかわからずにいたが、ただ不安だけはしっかりと感じていた。何も考え ず、すぐ隣に立つ真澄にしがみついてしまった。
「きゃあっ!パパの振袖が!」
 今度は亜弓の声が上がった。無残に切られた亜弓の袂。だがこちらはどうやったのかかなり下の ほうを切られている。
 これは事件だった。真澄が第一に考えたのはマヤの安全だった。この身を挺してでもマヤを守らな ければ。
「ちびちゃん、何かおかしなことが起こってるようだ」
 そう言うとしがみついてきたマヤを抱き締め返す。
「振袖が切られてる???」
 あまりにひどい犯罪に麗も驚きを隠せない様子だった。桜小路も舞の身の安全を図ろうと呼び寄せ る。
「舞、こっちに来て」
 呼ばれた舞は嬉しそうに桜小路の体に腕を巻きつけしがみついてきた。
“優、あたしもぎゅってしてー”
 恐らく真澄とマヤにあてられたのだろう。だがあてられたのは舞一人ではなかったようだ。絶世の 美女、亜弓も一人何かを想像して頬を赤らめているようだ。
“ああ、こんな時にハミルさんがいてくれたら・・・はっ!私ったらこんな時に”
 誰一人亜弓の妄想には気がつかない。マヤは恐怖で、真澄はそんなマヤを守ることで精一杯、麗 はなんとか状況を判断しようと必死だし、舞は桜小路に抱きつくので手一杯、そして桜小路は抱きつ いてくる舞にうんざりしているのだから。
「・・・はぁ・・」
 本来なら若い女の子に抱きつかれているのだ、もっと嬉しがってもよさそうなものだが桜小路は本 気で迷惑していた。
「って溜息をついている場合じゃない」
 その通り。桜小路は男としてなんとかここいにる3人の女性達を守らなければと考えた。待て、桜小 路。晴れ着を着ていなくても麗だって女性なのだ。桜小路は自分の失礼なカウントに気がついてい ない。

 マヤはパニックになっていた。この騒ぎは晴れ着を切られているからだと言う。だがこの着物は紫 のバラの人である真澄から、愛する人からプレゼントされた大切な大切な振袖。それを切られるなど とても耐え切れない。そんな心の悲鳴が思わず言葉になって出てしまうのだった。
「そんな…この着物は…速水さんが」
「マヤ、危険だから、こっちへ…」
 マヤをそっと人ごみから離れた物陰へと連れ込もうとする真澄。下心がありありなのだが、マヤが ふと漏らした言葉に思わず固まってしまった。
「何?俺が…着物を何だって??マヤ」
 だがマヤを易々と真澄に渡すわけには行かない桜小路。真澄の怪しい行動にいち早く気がつき釘 を刺す。
「速水さん、待ってください!」
 人々からそっとマヤを連れ去ろうとする真澄の前に飛び出し気迫のこもった声で一言叫ぶ。内心の “そうは行くか”の声までもが聞こえそうであった。
 抱きついていた腕を振り解かれ、体のバランスを失いながら舞は桜小路を追いかける。
「あ!!優!!まってよ〜〜〜!!」
 だが今の桜小路には舞の声も聞こえない。
「今、皆から離れるのは返って危険です」
 もう大混乱である。だがそんな状況で麗だけが一人冷静に真澄の言葉を聞いていた。
“???速水社長がマヤの事を呼び捨て?”
 マヤも、うっかり心の声を言葉に出し、それを聞かれていたことに戸惑いながら「え?あ、何でもな いの…」などと誤魔化すのが精一杯だった。
 だが真澄の方ではここで誤魔化されてはたまらない。心の中でマヤの先ほどの言葉を思い返して いる。
“何か俺が贈った様なことを言っていたような”
 マヤも先ほどの真澄の言葉を思い返していた。
“ん?今、「マヤ」って…”
 互いに見詰め合う二人。
「速水さん…」
「マヤ…」
 熱い視線を交し合えば、もう周りの騒ぎなど聞こえないし見えても来ないのだった。
 周囲の騒ぎに一切無関心な人がもう一人。姫川亜弓その人である。なんと彼女はまだ初夢に出て きたフランス人写真ハミルのことを思い出していたのだ。
“はああ・・・。ハミルさん・・・”
 真澄とマヤは今が佳境だった。もしかしたらマヤは自分が紫のバラの人であると知っているかもし れないのだ。今を逃してはまたうやむやになってしまう。考えられないことではあるがそれ以外考え られないのだ。
「もしかして、知っているのか?」
 マヤが真澄の目をじっと見つめて頷き返そうとしたその時、突然桜小路の声が響き渡った。
「お前、その手に何を持っているんだ?」
 怪しげな男がなぜかふらふらと桜小路の前に現れたのだ。
「きゃぁ!?優!?」
 手にキラキラ光る凶器を握った男が恋しい男の前に現れたのだ。驚き叫ぶ舞。その瞳には涙さえ 浮かんでいる。
「舞、こっちへ!あっ、お前、どこに行くつもりだっ!?」
 舞の叫びにそちらを向けば、舞の近くにいたマヤの姿も目に入った。なんと男は桜小路の前をすり 抜けてマヤの方に向かっているではないか。
「マヤちゃん、危ない!!」
 男を追いかけるには間に合わない。もう、マヤのすぐそこまで男は近づいていたからだ。だがマヤ は相変わらず真澄と向かい合ったままで桜小路の必死の呼びかけも聞こえていないようだ。震える 声で真澄に答えている。
「知っているって…何を?」
 えぇい、間に合うかもしれない。桜小路はマヤに向かって走る男を追いかけて走り出した。
「あっ!待って!!優ったらぁ!!」
 置き去りにされた舞は、動くことも出来ずにその場で桜小路の名を呼ぶことしか出来ない。
 鍛えられた若い桜小路の肉体。だがそれをもってしても男のすばやい動きには追いつくことが出来 なかった。もう、手も足も間に合わない。桜小路は出せる限りの大声でマヤに注意を促した。
「怪しい男がそっちへ!!」
「きゃぁ!!」
 桜小路の声は真澄の耳にも届いていた。すかさずマヤを自分の体の後ろに隠す。
「危ない!!マヤッ」
 マヤに危害が及ぶ直前、真澄は握り締めた右手を男の腹にめり込ませていた。男は真澄の一撃 を食らって「ぐっ」と言葉にならない潰された声でうめく。暴漢に立ち向かう姿を見て、マヤは真澄の 名を叫びながら、いつかの地下駐車場での出来事を思い出していた。
「速水さん!」
“いつか見た、こんな場面…あれは確か里美さんの親衛隊に襲われた時…”
 あれはいつのことだったろう。もう随分月日が経ってしまったように思うマヤだった。
「大丈夫か!!? どこも怪我をしてないだろうな!」
「はい、大丈夫です…速水さんが、あなたが守ってくれたから…」
 男は逃げ去ってしまったのか、いつの間にかその姿は見られない。マヤと真澄は互いの無事を確 かめ合っている。
「きゃぁ!!」
 真澄が凶器を持った男を殴りつけるシーンを見て、悲鳴を上げた舞の身を案じて思わず駆け寄る桜 小路。
「舞!?」
 その瞬間もマヤと真澄は熱い眼差しで見つめあっている。
「よかった、君が無事で…」
 熱く抱き締める真澄。それに答えるようにマヤも彼の背に精一杯腕を伸ばし抱き締め返す。
「いつも、いつも…あなたが守ってくれた」

 舞を振り返った一瞬の間に、気がつけばマヤと真澄はしっかりと抱き締めあっている。信じられな い気持ちで呆然と見つめる桜小路。今この瞬間に、彼はマヤに失恋してしまったのだ。そんな桜小 路の気持ちにはお構いなしに舞が抱きついてくる。
「優っ!無事だったのね!?」
「ああ、ありがとう・・」
 木偶の坊のように、舞に抱き締められても押し返すことさえ出来ずに突っ立っている桜小路。
“舞、君に気をとられているうちに・・”
 今更ながらではあるが、もしマヤと真澄の抱擁する瞬間を見ていればなんとかして止めることも出 来たのかもしれないのに・・・。悔やんでも悔やみきれない。
 こんな大変な時なのに亜弓はまだ妄想を続けている。
“もしこれが私だったら、ハミルさんと・・・”
 どうやら「暴漢に襲われる自分と、それを助けるハミル」を想像して悦に入っているらしい。ぼーっと していた。
 その時誰にも気づかれないようにそっと聖が真澄に近づき何事かを囁いた。
「大丈夫です、男は取り押さえました!!」
 真澄は無言で頷くと聖は静かにその場を立ち去った。そこにいた雰囲気さえも残さない、見事な登 場と去り際だ。
 なぜここに聖が?しかもよく見れば心なしか腹を押さえて前かがみに歩いている。一体何が?ふと 疑問が頭を過ぎったが、今はマヤの言葉を確かめる方が先だった。
「いつも? それはどういう意味だ?マヤ」
「速水さん…、あたし…」
“もしかして、気づかれている?”
 いよいよ告白か?マヤと真澄の一大事である。幸い亜弓は相変わらず“ハミルさん・・・v”と、いわ ゆる「脳内変換中」であるし、桜小路は舞に迫られてたじたじである。
「舞、振袖なんてどうなってもいいの。優が無事ならそれで・・・」
「ありがとう、舞。でもせっかくの着物を」
 優しい言葉の裏でいつの間にか消えてしまった切り裂き魔のことを考えている桜小路だった。
“あいつ、一体なんだったんだ”
 だが舞は優が優しい言葉とは全く別のことを考えているとは気づかない。信じたい言葉だけを安易 に信じているだけだった。
「うぅん。どうなってもいいのは振袖だけじゃない。優。あたし優とならもう、どうなっても・・・イヤン」

 積極的に舞から迫られてうんざりした桜小路。ふと見ればマヤと真澄はただならぬ雰囲気を辺りに 撒き散らしているではないか。これは見逃してはいけない。桜小路の目は皿のように大きく見開か れ、耳はダンボのようになっていた。
「速水さん、あたし、ずっと前から気付いていました。あなたが、あなたがあたしをずっと支えてくれた 紫のバラの人だってこと」
 確信を持った瞳の真澄に、マヤも想いを抑えきれないらしい。潤んだ瞳で熱に浮かされたように言 葉を続けている。桜小路は同じように熱っぽく迫る舞を黙らせるために適当にあしらっているだけだ。
「その話は帰ってからにしよう。いいね、舞?」
 だがそう言っている間も目は二人に釘付けである。
「帰る?どこに?まさか、優のマンション?キャっっ!」
 どこまでも付け上がる舞に、もう桜小路も優しいフリなどできはしない。本当にいい加減に「どこで も」などと答えている。その答えが返って墓穴を掘ることになるなどと、今は気にしている場合ではな いのだ。

 真澄とマヤの二人は先ほどからもうずっと抱き合ったままですっかり二人だけの世界に入り込んで いる。いよいよ真澄の人生を左右する瞬間が来たようだった。
「忘れられた荒野の時に…、あれからずっと、ずっと…。好き。あなたが。ずっと…好き」
 これは夢なのだろうか。これは初夢なのか?信じられない思いでマヤを見つめる真澄。だが信じら れない思いで見つめているのは真澄だけではない。桜小路も同じだった。いや、もしかしたら真澄よ りもその衝撃は大きいかもしれない。
「マヤ・・ちゃん・・?」
 金縛りにあったように固まったまま動かなくなってしまった桜小路の視線が自分に注がれていない ことに初めて気がついた舞は不審そうに尋ねた。
「優?どこを見てるの?ねぇ、優ったらぁっ!」
「そんな・・マヤちゃんが・・速水さんを・・」
 今目の前で起きている事態が飲み込めない。飲み込みたくもない桜小路。受け付けまいとする自 分と真実を見つめろと訴える自分の間でただ立ち尽くすだけしかできない。
 勿論桜小路がどれだけパニックに陥っていようとも気にする必要のない真澄は、自身も信じられな い突然の告白に戸惑っていた。
「マヤ、だが…だが…俺は君に好かれる資格はないんだ。いくら俺が君をどれだけ愛していたとして も、俺は君の母親を…」
 マヤの一世一代の告白を前に、いつしか諦め癖がついたと言うのか、真澄は素直に喜ぶことも受 け取ることも、いや、受け止めることさえできないのだった。だが、マヤにとっては一生分の勇気を込 めた告白だ。わけのわからない逃げ口上で真澄を放免してやることなど到底出来ない。
「資格?そんなものがいるんですか?人を好きになるのに資格なんて…。それなら、あたしにも無い のかな?だって…紫織さんが、速水さんには婚約者がいるのに…あたしが好きなんて言う資格なん て…どこにも…ないの」
 ぽろぽろと、真澄がこれまでの人生で一度も見たことがないような美しい涙をこぼしながらマヤが 自分を見つめ訴える。紫織の名が出た途端、真澄の中で何かが弾けたようだった。
「そんなことはない!! 俺が真実愛しているのは君だけだ!!!」
 その時になって初めて真澄とマヤの非常事態に気がついた舞は、井戸端会議ののりで桜小路に 話しかけていた。
“あら?優の見ているのって・・・。あれはマヤさんと速水社長?”
「ねぇ、優。あの二人、愛し合っていたのねぇ・・・。知ってた?」
「そんなことあるわけない・・」
 がっくりと力なく膝をつく桜小路。舞は慌ててそんな彼を支えようとする。
「きゃっ?優、大丈夫?」
「ああ・・・舞・・?」
 まるでたった今、舞の存在に気がついたような桜小路。少しばかり驚いた顔で舞を見ている。
「さっきのショックが今頃でたの?もう、帰って休みましょうか?」
 切り裂き魔を追いかけようとしたり、思いがけない騒ぎのせいで精神的に疲れたのだろう、と舞は 推測していた。
「ああ・・悪いんだけど一人で帰らせてくれないか?君はどうする?」
「うぅん!あたしも一緒に行くわ!優が心配だもの!」
 ひどいショックを受けたのだ。どうにかして一人っきりになれないものだろうか。だが人の心を推し 量れない舞はとても自分を離してはくれないようだ。諦めるしかないのか?もう、何も言葉は出ない 桜小路だった。
“一人でいたいところだけど・・あんな変質者もいて舞一人を残せないよな”
「行こう・・舞」
「うん♪」
 寄り添って、二人は退場して行った。もう一人、精神的にとっくに退場してしまっている亜弓は、初 夢のせいなのかハミルのことを強く意識して今は傍にいない彼のことをひたすら考えているのだ。
“最初はあなたのことを軽んじていたわ。周りの人と同じ、本当の私のことなんて見ていないんだっ て・・・。でもそれは間違いだった!本当の私をずっと見ていてくれたのはあなただけだった・・・。ハミ ルさん・・・あなただけ・・・あああ〜。”
 松の木にハミルの姿を重ねているのか懸命にそちらに向かって頬を赤らめたり俯いてみたり潤ん だ瞳で見上げてみたりしている。もう誰も亜弓を現実の世界に引き戻せないだろう。

 一方マヤも違う意味で別の世界へと旅立っていた。真澄からの思いがけない告白は、マヤの頭に 物理な衝撃を与えたようだった。そのためか、ほんの一瞬ではあったがマヤには真空の宇宙に無数 に散らばる星々が見えたのだった。
「今…、一瞬星空が見えた…」
 それはあまりにも小さな呟きだった。マヤを抱き締めて離さない真澄の耳にさえも届かないような。
「マヤ、俺は君を愛していても…かまわないのか?」
 だがそれには答えずマヤはまだ独り言を言っている。
“星が降ってくるみたい”
 マヤが何を考えているのかはわからないが、この気持ちを否定されていないことだけははっきりと わかる真澄は、なおもマヤをかき口説くように言葉を続けるのだった。
「君を抱きしめたい。それを許してくれるか?」
“優しく、優しく…速水さんの声が降ってくるの…”
「マヤ…ずっとずっと、君だけを愛していた」
 夢想から覚めたのか、ようやくマヤが真澄の目を見つめ返してきた。
「速水さん・・・あたしを温めてくれますか?」
「あぁ、勿論だ。俺の腕の中は、これからはずっと君だけのものだ」
 嬉しいマヤの言葉に、思わず彼女を抱き締めくるくると回す真澄。マヤは驚き「は、速水さん!」な どと抗議しているが聞く耳など持ちはしない。なんと言っても今が彼の孤独な人生で一番嬉しい時な のだ。
「まさか君が俺と同じ気持ちだったなんて… これが初夢だったら、死んでしまいそうだ」
 ようやくマヤを下ろすとその耳元にそっと囁く。もう、人の目など気にはしていない真澄だった。
 そう、実際、実に多くの人が彼らを見ていた。その中には一緒に来たにもかかわらず人目も憚らず 抱き締めあったり告白しあったりしている二人の傍にいるのが恥ずかしくなっていつの間にか距離を 置き他人のふりをしている麗もいた。
“マヤ良かったな...”
 よく見れば涙ぐんでさえいる。が、決して二人には近づこうとしない麗だった。
 そしてもう一人、遠くの物陰から全てを見ていた人物がいた。月影千草である。何度も死にかけた 体でありながら一体どうやってここまで来たと言うのか。そもそも晴れ着ばかりの神社にその漆黒の ドレスは浮きまくっている。だがそんなことにはお構いなしにこの成り行きを最初から最後まで見つめ ていたのだった。
 ようやく女としての幸せを掴んだらしいマヤが、それと同時に紅天女の恋も掴むと確信しているの だろう、満足げに月影は笑った。
 その日川崎大師に初詣に来た人は全員、一日中どこからともなく響く不気味な高笑いを聞くことに なったのだった。




<Fin>



なりチャ小説第2弾です。

硝子さん、執筆お疲れ様です・・そしてありがとうございました!
今回も鋭い突っ込みの数々にかーなーりー笑わせて頂きました♪

前回のなりチャは、私は残念ながら中座したもので成り行きを全て見ることができなかったのです が、今回は最初から最後まで楽しむことができました。
この話については、もう読んでいただいて雰囲気を味わってもらえればいいと思いますので、この場 では参加して頂いた方に一言、コメントを入れさせて頂こうと思います。

●さわさん
「桜小路以外なら誰でもいい」というお言葉(42巻の傷は深そうですね・・)に、ついマヤちゃんをお願 いしてしまいました。
見たかったんです・・一ファンとして(^^ゞ
常にお話をリードされるその手腕には、もうさすがとしか言いようがありませんでした!
お時間がなかったためにマヤの「帯くるくる」まで行かず、それだけが残念ですっ(笑)

●RIBIさん
RIBIさんにも速水さんをお願いしてしまい・・・って、もう完全に趣味に走ってますね、私。
聖さんにマヤの動向を探らせて動いた途端に接近したり、ちゃっかり物陰に連れ込もうとしたり、人 目もはばからず抱き合ったり・・
イロイロな意味で積極的な速水さんにうっとりvv
ラストのマヤを抱きしめてくるくるはトドメでしたぁぁぁヽ(〃∇〃)ノ

●RINさん
なぜかチャットルームから弾かれてしまい、ずいぶんご苦労されながらもつきあって頂いて本当にあ りがとうございます。
続けて入力していると大丈夫のようでしたから、次は主役級でも・・♪

●硝子さん
舞ちゃんをずいぶん楽しそうに演じてらっしゃいました。
迫りまくる彼女を桜小路はずいぶん持て余しましたわー。
マヤには全然近寄れないし、真澄は急接近してるし(笑)
代理で演じた麗も彼女らしいセリフが光っていました!
「失礼だな。あたしはそんなにきつく締めてないよ!」なんていかにも言いそうv

●堕天使さん
「マヤ、何のようですか?」
「そうですか。それはよかったこと」
などなど、今にも声が聞こえてきそうなセリフ回しに愛情が感じられました!
次も月影先生をよろしくお願いしまーす(o^-')b 

●yuriさん
なんと言いましょうか・・・この亜弓さんはyuriさんにしか演じられません!
夢見る乙女です!!
ひたすら突っ走ってます!!
周りが見えてません!!
とにかく幸せそうです!!
そう、もしかしたら主役二人よりもっ!!
yuriさんのコメディセンスに大きな拍手をっっ!! ""ハ(>▽<*) パチパチパチッ♪

●アイリーンさん
中盤まで席を外されていたので、後半から聖さんとしての出演でした。
そして何よりも!!
晴れ着切り魔を登場させたのはアイリーンさんですよねっっ(≧▽≦)
その後、話は急展開にっ!
まさかこういう話になろうとは・・チャットの醍醐味を感じましたー♪


皆さん、楽しい時間をありがとうございましたvv