祝杯 1



「乾杯!」
「かんぱーーーい!!」

団長である堀田の声に呼応して、団員達の声が踊る。
劇団つきかげプラス一角獣の公演は盛況の中、千秋楽を迎え、その成功を祝してのパーティーが劇 場の一室で行われていた。

彼等はテレビなどのメディアにはほとんど出ないものの、堅実なその舞台姿勢に固定ファンも多く
つき、チケットを売り出せば完売という押しも押されぬ人気劇団の一つとして挙げられるようになって いた。
特に今回の公演では大都芸能所属の北島マヤを客演として迎えたこともあり、普段の数倍にもなる 集客率を誇ったのである。

マヤは伝説となっていた紅天女を演じられる唯一の女優であることはもちろん、その後様々な役どこ ろを演じて人々を酔わせ、いつしか日本を代表する女優としての地位を得ていた。
その彼女がかつて所属していた劇団と共に舞台にあがるということは、当然のことながら世間の興 味を引き、自然、そのチケットは"プラチナチケット"となり入手困難なものとなったのだ。
そしてその公演を見ることのできた運のいい観客達は、話題性だけではない、深みのある彼らの舞 台の魅力に取り付かれ、チケットを手に入れた幸運を改めて思うのであった。


パーティ会場では皆、ほどよく酒もまわり、陽気な雰囲気を醸しだしていた。
人気女優であるにも係わらず、このような打ち上げの席では壁の花となりがちなマヤも、気の置けな い仲間達に囲まれて満面の笑顔で舞台後の余韻を楽しんでいる。

「マヤと一緒に演じるのは真夏の夜の夢以来だったわよね」
ずいぶん昔のことに思えるわ、と彼女にさやかが話しかけた。


(真夏の夜の夢・・あの頃の私には紅天女を演じる可能性はほとんどなかった。
速水さんに諦めるかと聞かれて、例え1%しかなくてもそれに望みをかけると断言したんだったわ)
懐かしい思い出にマヤはふわりと笑みを浮かべた。


「それにしてもマヤが大都芸能に入るとは思ってもみなかったわね」
泰子が言うと、さやかもうん、うんと頷く。
「マヤは凄ーく嫌っていたものね、大都芸能。・・というか速水社長をかしら。
つきかげは彼に潰されたわけだし、無理ないけどね」

それは紅天女の本公演に向けて、所属先を大都に決めた際にあちこちから言われた言葉だった。
やっぱりさやか達もそう感じるよね・・と思いつつマヤはいつもの決まり文句を並べる。
「確かに色々と衝突はあったけど、本当に紅天女のことを真剣に考えていたのは大都だったから。
私の個人的な気持ちだけで決めることはできないと思ったしね」
実のところは極めて個人的な事情によって決定したわけだが、今の状況でそれについて言うことは できなかった。


その後はたわいのない話に終始し、喉が渇いたマヤはテーブルへと足を進めグラスを手に取った。
「やっぱりいいな、この雰囲気・・。古巣って感じかな・・」
最近では多少飲めるようになったカクテルを口の中で転がしながら、マヤは優しい空気に包まれて 心も身体も程よい充実感に覆われている。

そんな彼女の背後に一人の男が真っ直ぐに歩み寄って来て、声をかけた。

「千秋楽おめでとう。マヤさん。あなたという太陽のおかげでこの舞台はまるで光り輝くようでした。
本当に・・本当に素晴らしかった!あなたの放つ光に、他は皆、霞むようでしたよ」
その言葉にマヤの口元に浮かんでいた笑みが消えた。不愉快そうに眉が寄り、下唇を噛む。
あまり人に対して嫌悪の表情を出さない・・・かつて約一名、例外はいたが・・・の彼女にしては珍しく 不快感を顕にしていた。
それでもその声に対し無視を決め込むわけにもいかないと観念したらしく、気持ちの切り替えを行う 時間を考慮するかのように、マヤはゆっくりと声の主に振り向いた。

「ありがとうございます。一角獣やつきかげの皆に支えられて、役を演じきることができました」
マヤばかりを褒め、他の劇団員の演技を否定するかのような相手の賞賛をやんわりと否定して、マ ヤは微笑んだ。もっとも、それは苦笑という類のものであったが。
しかし男はそんな彼女の様子に気づくこともなく、さらに言葉を続ける。

「とんでもない!あなたという艶やかな華がなければ、この成功はありえなかったでしょう。
実際、僕にはあなたの姿しか目に入らなかった」

無神経すぎる男の言葉に、マヤは呆然とした。
彼女にとって家族と言っても等しい仲間達への侮蔑とも取れる発言は、男の意に反してマヤにふつ ふつとした怒りをもたらした。
「過大評価です。私はそれほどの女優ではありません。失礼します!」
踵を返そうとしたマヤの腕を男は素早く捕らえる。  
「奥ゆかしい人ですね、あなたは。そこがまた僕を惹き付けてやまない・・」


「あのバカ息子、またマヤにちょっかい出してるのかっ」
二人のやりとりに気づいた青木麗は忌々しそうに小さく舌打ちをした。


財木明。
今回つきかげが公演を行った、グラン劇場の副支配人である。
その肩書きこそ立派だが実際の劇場の経営には係わっておらず、支配人の息子であるという、ただ それだけのお飾り的な存在だった。
すらりとした長身に人好きのする甘いマスクは女性の目を惹くに充分な容姿であったが、同時に誠 実味に欠ける軽薄さも感じさせ、麗は最初に会ったときから彼に好意を持てなかった。
「女には不自由しないだろうに・・よりによってあの奥手のマヤに近づくことないだろう!」
右手の親指が口元に引き寄せられ、かちりと爪を噛む。

とにかくしつこいのだ、あの男は。
紅天女の舞台を見て惚れ込んだだか何だか知らないが、今回の舞台にマヤが出演することを知る と、毎日のように稽古場に訪れてアプローチをしてきた。
マヤも最初のうちはどうしていいものか戸惑っていたが、あまりにも露骨な求愛に辟易し、はっきりと 断りを入れていた。
「私にはつきあっている人がいますから、あなたのご希望に添えません」・・と。

事実、彼女には恋人がいる。所属事務所の社長、速水真澄だ。 
しかし、この2人の関係を知るのはごく親しい、一部の人間だけであった。
速水はマヤとつきあうにあたり鷹宮財閥の総帥の孫娘との婚約を破棄したため、鷹宮側を刺激しな いためにも、すぐに交際を公にするわけにはいかなかったのだ。
それゆえに「相手は誰です」と問い詰める明に、マヤは沈黙を守っていた。
マヤが言わないならと明が他の劇団員に尋ねてみても、彼女の想い人について知っている人間は いなかった。
この事実を知っているのはマヤと同居し、彼女の相談にのっていた麗だけなのである。

明は疑惑の目を向けながら、マヤにたたみ掛けた。
「もしあなたの恋人とやらが、本当にあなたを大切に思っているなら稽古後に迎えに来たり、あなた の舞台を見に来たりするのが当たり前でしょう?全く姿を見せないなんて不自然ですよ」
自分との交際を断るための狂言ではないか・・そんな態度がありありと見える。
実際には速水は彼女の舞台を見、控え室に顔を出してもいるのだが、他者の目からは「看板女優を 激励に来た所属事務所の社長」としてしか映らなかったのである。

忍ばなければいけない関係・・それが決してやましいことではなくても・・。

マヤは明の言葉に速水との付き合いに対して一抹の寂しさを感じた。
彼女はふぅと軽く息を吐いて、執拗に食い下がる男に会えない理由を述べる。
「あの人は仕事で忙しいから・・なかなか二人の時間がとれないんです」

それもまた事実であった。
鷹宮との婚約破棄に際し企業間での提携事業は暗礁に乗り上げ、それに生じる不利益を最小限に 抑えようと、速水は毎日身を削るような忙しさの中で業務に明け暮れているのだ。

「仕事?仕事などのために恋人を疎かにするような男なんておやめなさい。
私だったら、あなたを最優先にして寂しい想いは決してさせません。お約束します」
明の言葉にマヤはキッと顔を上げ、射るような視線を彼に向ける。

「『仕事など』・・ですか?」
冷ややかな眼差しはそのままに、彼女はスッと微笑む。

「私は女優です。この仕事があるからこそ、私は生きているのだと実感しています。
例え愛する人のためでも私は演技をやめることはないでしょう。
舞台に立ち、誰か他の人の人生を歩む・・虹の世界に生きることが私の運命だと思っています。
仕事など、と軽々しく一蹴できるものではありません。
そしてこれはあの人の仕事に対する情熱にも通じるものがあると信じています。
私なんかのために簡単に責任を放り出すような人なら、私はあの人を愛さなかったでしょう」

毅然と言い放つマヤに明は面食らった。
舞台では強烈な印象を残す少女は、その華やかな場から降りると別人のようなはにかみを見せた。 おとなしく、扱いやすそうな女だとばかり思っていた彼女は、その実、火の様な内面を持ち合わせて いたのだ。

面白い・・。

明は心の中で呟く。
正直なところマヤに対しては遊び半分で誘っていたのだ。
とりあえず今、つきあっている女がいないから噂の紅天女を手に入れるのも一興だろうと、その程度 の考えに過ぎなかったのである。

(この娘の主張からして男がいるのは間違いないのだろう。
だが、そんなことは構わない。欲しいものは手に入れる・・それだけのことだ)
彼の瞳に怪しげな光が浮かんだ。

「もう、やめときな!あんたの出番はないんだから」

明は突然口を挟んだ女をちらりと横目に見る。
青木麗とか言ったか。中性的な美貌で男女、どちらの役もこなす女優だ。
彼の好みの基準からいうと決し外れてはいないのだが、いかんせん今狙っているのは北島マヤの 方である。この場では邪魔者に他ならない。
「どういう意味です・・?」気分を害したことを隠しもせずに不快気に問いかける。
「マヤの彼氏とあんたでは格が違うと言ってるのさ。どうあがいたって望みはないよ」

いちいち勘に触る言い方をする女だ。
格が違うだって?俺は天下のグラン劇場の副支配人だぞ?
お前のような、たかだか一女優に蔑まされる覚えはない!
怒鳴りつけようとした瞬間、マヤがそれを遮った。

「財木さん、どちらにしても私はあなたとはつきあえません。
私よりも他に美しくて魅力のある女性はたくさんいるでしょう?
からかうのはこれくらいでやめてください」
そう言うとマヤは麗の腕を取り、共にその場から歩み去った。


本当にタチが悪い・・。
過去の経緯を思い返しながら、麗は溜息をつく。
いくらマヤが断っても全く諦めないのだ。
食らいついて離さない、まるでスッポンのような男である。
特に今日は千秋楽ということもあり、これを逃すと会う機会がなくなるとばかりに迫り方にも熱が
こもっている。

(困ったもんだよ・・)

大切な妹分に振って湧いた災難に麗自身も頭を抱えたい気分だった。
ちゃんとストッパーをかけておかないと、どこまでつきまとうか分かったものではない。
麗は助けを求めるように腕時計の文字盤をじっと見つめた。