あなたのキスを数えましょう



どうしてこんな状況に陥ったのか。
まさに運命の神様のいたずらとしか思えない。
まさか彼とこんな夜を過ごすことになるなんて。

「・・・マヤ」
少し掠れた低音が、ふいに耳元をくすぐった。振り返ると、少し潤んだような鳶色の瞳がこちらを見つ めている。
「何ですか、速水さん」
あくまでも事務的な声で応対すると、大都芸能の鬼社長と称される男はつれないなあとため息をつ いた。
キッチンで輸入品のチーズを切っていたマヤは、ぐっと包丁を握る手に力を込めた。
(ため息をつきたいのはこっちのほうですよっ)
目の前の男にそう言えたら、どんなに楽なことか。
だらしなくソファに寝そべった速水は、緩めた襟元からネクタイを抜き取ろうとしている。しかし指先が もたつき、思うようにはずせない。苦心している様子を見て、マヤはやれやれとばかりにキッチンを離 れた。
「ほら速水さん、しっかりして下さい」
マヤは膝をつくと、寝そべる速水に手を伸ばした。その時、半目になっている速水と目が合った。強 引にその手を掴まれ、マヤの小さな体はいとも簡単に引き寄せられる。
「マヤ・・・愛している」
熱い眼差しが注がれる。その眼差しを受け止めたマヤのくちびるがゆっくりと開かれた。
「−−−速水さん」
「ん?何だ・・・」
「冗談も休み休みにして下さい」
「・・・」
にっこり笑って、マヤは愛の言葉を跳ね返した。ついでとばかりにちゃっかりと腰にまわされた手をつ ねる。
「そういう台詞は、お酒がまわっていない時に言って下さい」
「俺は酔ってなんかないさ」
「ど・の・く・ち・が・そんなことを言ってるんですかっ」
酒臭い息を吹きかけられ、マヤは速水の形の良い鼻をつまんだ。
うぐぐと速水はうめき、再びソファに倒れこんだ。
まったく世話が焼けることこの上ない。
マヤは深い深いため息をつくと、自分をこのような状況に陥れた有能な美人秘書の姿を思い浮かべ た。
(もうっ。本当に恨みますからね!水城さん!!)

それは時間的には昨日の日付のことになる。
大都芸能所属の芸能人を集めた新年パーティーでのこと。
数年前紅天女を射止め、名実ともに大都の看板女優となった北島マヤも当然出席し、鷹宮グループ との縁談をなぜか解消した仕事の鬼たるこの男も主催者として参加した。

紫の薔薇の人=速水真澄=魂の片割れ
永遠の紅天女=北島マヤ=魂の片割れ

という図式がすでに完成している二人だったが、なんと言っても恋愛に関しては臆病すぎる一面を持 つ者同士。あと一歩が踏み出せず、悶々とした毎日を送っていた。
「やあ。これはちびちゃん」
隙なくアルマーニのスーツを身に着けた速水が、マヤに近づいてきた。
「こんばんは。速水さん。今年もよろしくおねがいしますね」
ファーつきの白いドレス姿のマヤは振り返り、丁寧にお辞儀をした。目に見えない奇妙な緊迫感が二 人の間に漂う。
その時、すらりとした女性の影が忍び寄ってきた。
「あら、マヤちゃん。久しぶりね。ちょっと見ない間に綺麗になったわねえ。もしかして好きな人でもで きたんじゃないの?そう思いませんこと、速水社長?」
きわどい質問に、当の二人はびくりと肩を震わせた。
「や、やだなあ。水城さんたら、冗談ばっかり。速水さんの前でそんなこと言わないで下さいよ。おじ さんをからかったら後が大変なんですから」
「は、ははは。水城君の洞察力もちびちゃんにかかっては、その威力を失うらしいな。よく見たまえ。 まだまだ大人の女の魅力には程遠いだろう?」

「・・・」
「・・・」

まったく同時に、二人は顔を見合わせた。
「何ですって!!!」
「何だと!!!」
一瞬で二人の間に火花が飛び散った。
「もういい加減になさいませっ。速水社長!マヤちゃん!」
水城は呆れたように仲裁に入った。
思うに二人の恋のベクトルは限りなく同じ方向を向いているようでいて、微妙にだが確実にすれ違っ てしまっているのだ。
お互い強烈に惹かれあっていながらも、いやそれだからこそこうして毎回半端でない喧嘩を派手に 繰り広げてくれる・・・としか考えられない。
社長秘書として、そして大女優の顧問マネージャーとして苦労を強いられる水城の気持ちをわかって くれる者はここにはいない。
しかもこの二人。時と場所を考えずにやらかしてくれるのだ。
時には大事な制作発表の場で。大河ドラマの撮影現場で。こうした衆目の集まる公式のパーティー 上で。
ゴシップ誌やワイドショーに二人のバトル姿が披露されたのは一度や二度のことではない。毎回面 白おかしくメディアに取り上げられてはその事後処理に追われ、もはや気力もお肌もボロボロの今日 この頃だった。
(このままでは本当に私、過労死しかねないわ。早いとこ何とかしないと、このバカップルに若さも恋 愛運も吸いとられてしまう・・・っ)
白目でそんなことを考えている水城をよそに、二人の喧嘩はヒートアップしそうな勢いである。
睨みあう二人の間に割り込むと、水城はすばやく速水の腕を取った。
「真澄さま!あちらにZカンパニーの会長がお越しになられてますよ。ご挨拶なさった方がよろしいの ではないでしょうか!?」
「あ、ああそうだな。こんなところで時間を取られている場合ではなかったな」
我に返ると、速水は取り澄まして答える。
「それじゃ俺も忙しい身なんでね。ここで失礼するよ。またな、ちびちゃん」
「ええ。それでは、永・遠・に・さ・よ・う・な・ら!」
あっかんべをしながら、マヤはその背を見送った。

そしてそのまま何事もなくパーティーは佳境を迎え、マヤが帰り支度を整えようとした時だった。
「あ、よかった。マヤちゃん。まだ帰ってなかったのね」
「いえ、もう帰るところですけど。水城さん、どうかしたんですか?」
水城はにっこりと微笑むと、パチンと指を鳴らした。それを合図にぐったりとした人間を抱えた屈強な 黒服の男たちが現れた。見覚えのある茶色の髪とすっかり着崩れた仕立ての良いスーツにマヤの 眼が見開かれる。
「は、速水さんっ!?」
「マヤちゃん、お願いがあるんだけど真澄さまの酔いが醒めるまで介抱してあげてもらえないかし ら?」
「え、ええっ!な、何を言ってるんですかっ。嫌ですっ。そんなこと!」
「何もここでしてくれって頼んでるわけじゃないのよ。マヤちゃんの新しいマンションここから徒歩で行 ける距離でしょ。ちょうど良いと思ってね。大都芸能の冷血鬼社長がこんな姿を晒すわけにはいかな いでしょ?ほとぼりが冷めた頃に迎えにくるから。ね、お願い」
明らかに確信犯的な笑顔で迫る水城に、マヤは一言も返すことができなかった。
そのままあれよあれよという間に、正体不明の男たちの手によって泥酔した速水がマヤの部屋に運 び込まれ、今現在に到っているのだった。


「ああ、もう早くお迎えにきてよ〜。水城さん」
天井を仰ぎ、悲嘆にくれるマヤ。しかし明らかに既成事実を狙っている水城にこの願いは届かないだ ろう。
密かに想う相手と二人きり。心臓の音がうるさいほど鳴り響いている。常ならば、今度こそ素直に
なって彼の胸に飛び込みたいところであるが・・・。

「マヤ〜。喉が渇いた。水を持ってきてくれ。エビアンがいい・・・」
「小腹が空いた・・・何かつまむものも欲しい・・・チーズでもキャビアでも何でも構わん・・・」
「うう・・・気持ちが悪い。マヤ・・・背中をさすってくれ。それから冷たいタオルで顔を拭いてくれない か・・・」
子供のような・・・とは聞こえはいいが、どう見ても酔い潰れた大の男が駄々をこねている姿にしか見 えない。わずかに残っていた最愛の人に対する恥じらいやときめきもあっというまに冷めていった。
しかしこうやってそのわがままにも答えてしまうのは、やはり惚れた弱みというものだろうか。
諦めきった表情で再びキッチンに立ち、軽食を作り出すマヤ。チーズを厚めに切り、海苔を巻いてフラ イパンの上に並べる。
少し柔らかくなってきた頃合を見て、醤油を注ぎ入れた。香ばしい匂いが部屋中に漂う。
「・・・ああ。いい匂いがする」
「うひゃっ!い、いきなり耳元で声を出さないで下さい!」
突然耳元に触れた吐息と低い声に、マヤは真っ赤になって振り返る。その瞬間、くちびるに温かなも のが触れた。これって・・・これって・・・!!!!!
「は、速水さんっ!」
「・・・ん?ちびちゃん、焦げ臭いぞ。そろそろ火を切ったほうが良くないか?」
とろんとした目つきでこちらを見つめる速水に、いささかの変化も見られない。
もはや怒りよりも呆れの感覚が強かった。はああと盛大にマヤは溜めていた息を吐き出した。
「・・・もうっ。火傷するからあっちに行ってて下さい」
「嫌だ。もっと君とこうしていたい」
そう言うと、速水は後ろからマヤを抱きすくめた。正気の状態ではないとはいえ、かなりきわどい台 詞である。さしものマヤも次の言葉がでない。
柔らかな髪が首筋をくすぐり、熱を帯びた息がかかった。半ば体重をかけられているため、小柄なマ ヤには為すすべがない。
「・・・本当はずっと前からこうしていたかったんだ。俺が何のために婚約を破棄したと思ってるん だ・・・それなのに君はいつまでたっても打ち解けてくれない。こんな子供じみた関係・・・好きでやっ てるわけじゃ・・・」
「ちょ、ちょっとちょっと速水さん・・・っ!?」
そのままずるずると床に倒れこむ二人。背後から全体重をかけられたマヤは胸を潰され、たちまち呼 吸困難に陥った。苦しまぎれにマヤはわめいた。
「や、やめてやめてーっ。そ、そんなことしたいんだったら、も、もっと違うところにして下さい・・・っ」
「わかった」
あっさりと重みが取れてほっとしたのもつかのま、突然体が浮遊した。
「きゃ、きゃああっ。速水さん!いったい何する気なんですか!?」
「何って・・・君がこんなところじゃ嫌だと言ったからだろう。寝室はどこだ?こっちか?」
マヤを抱えたまま、速水は長い足先で器用にドアを開けていく。やがて目指す部屋にたどり着くと、 放り投げるようにマヤをベッドに降ろした。
マヤは恐ろしいものでも見るように、残りのワイシャツのボタンをはずす速水を凝視する。
速水のことはもちろん愛しているが、こんな状況で抱かれるなんて嫌だ。
「は、速水さん・・・お願い。止めてください」
必死の形相で懇願するマヤに、うっすらと速水は微笑みかける。そして一気にシャツを脱ぎ捨てる と、青ざめ固まっているマヤに覆いかぶさった。
(も、もうだめ・・・!)
観念して眼を閉じるマヤ。しかしいつまでたっても来たるべきことが起こらない。恐る恐る眼を開ける と、焦点が合わないくらい間近で眠る男の姿があった。
(嘘でしょ・・・っ。こんな時に寝るなんて信じられない!男のひとって、みんなこうなの!?それともこ の人だけがおかしいのかしら???)
少しずつ体をずらすようにして速水から離れると、マヤは深いため息をついた。そして隣で寝息をたて ている男を恨みがましく見つめる。
「もう・・・っ。今日はレッドカードどころじゃすまないですからね。まったくこんな暴挙に出るなんて・・・ こういうの軽犯罪法違反にあてはまるんじゃないのかしら!?」
最近演じた女弁護士の余韻が抜け切らない口調でマヤはぶつぶつと呟く。再び速水の寝顔を覗き 込むと、うっすらと開かれたくちびるの近くにキスを落とした。
「言っときますけど、今日のキスはどっちもカウントに入れませんからね。勘違いしないで下さい」
そう言って少しざらついた頬をなでる。起きる気配がないことを確かめてから、マヤは速水の隣にそっ と身を寄せた。
心地よい心音を耳にしながら、眼を閉じる。

「・・・あたしだっていつまでもこんな関係を続けるつもりはありませんから、ね」


後日談
「おはようございます。真澄さま。お迎えにあがりました」
「な!何だ!?ど、どうして俺がマヤのベッドに・・・っ。しかも何で服をぬいでるんだ!?」
「あらまあ真澄さまったら☆おめでとうございます。とうとうこの日がやってきたのですね。心よりお祝 い申し上げます」
「○*△×□☆!!!」

その後マヤを待ち伏せして、「俺と君は本当に○○したのか」と超直球に質問して、平手打ちをくら わされている速水の姿が見かけられた。


ーーー二人の想いが重なる日は、まだまだ遠い・・・。




<Fin>



yuri様コメント

くるみんさん♪ガラかめサイト開設おめでとうございます〜\(^o^)/

くるみんさんの魔法の指先から紡がれる軽快かつドラマティックな物語の数々がこれからもっとたくさ ん、しかも一気に読むことができるのですね・・・vvv

ああ、何というシ、ア、ワ、セv(#^.^#) 

この「あなたのキスを数えましょう」はくるみんさん、RINさん始めとする皆々様に可愛がられ、本当 に愛すべき記念作となりましたv
ふつつかなわが子ですが、どうか末永く可愛がってくださいませ<(_ _)>

くるみんさんのますますのご活躍を世界の最果て(おい)からですが、熱くそして激しく応援しており ますv
同期の桜の誼として、これからもよろしくお願いしますねっv



管理人コメント

開設祝いのお言葉、ありがとうございます!
魔法の指・・それはyuriさんの指のことではないでしょうか。
最初に読ませていただいたお話が、ダークな雰囲気を背負ったシリアスなものでしたのに、かと
思えばこのお話のようにコミカルでテンポの良いストーリーを書かれて・・変幻自在なんですもの!
1ファンとして、いつも惹きこまれ、楽しませて頂いています。

この作品は、速水さんとマヤちゃんの大人で粋な会話に惚れこんで「設定をお借りして話を作りた い」と申し出たところ、yuriさんが快く承知してくださったという経緯があります。
また、RINさんもこのお話をきっかけにイラストを描かれました。
番外編ではその絵を挿絵として使わせて頂いています。

今回、拙作を楽園様より転載するにあたり、本編であるこちらの作品をyuriさんから頂きましたvv
ありがとうございます!ええ、もう可愛がって決して手放したりしませんわっ(≧▽≦)

同期の桜♪こちらこそよろしくお願い致しますvv