大都タクシーPart2.5?



  

今は郷愁さえ憶える昭和の時代を色濃く残したアパート。
共同住宅といった趣の建物には「白百合荘」と書かれた表札が掲げてある。
その前には、あまりに不似合いな黒塗りの高級車が横付けされていた。

「マヤ・・」
車内を覗き込み呆れたように呟くのはアパートの住人、青木麗である。
部屋のドアを叩く音に彼女が目を覚ましたのはつい先ほどのこと。
そそっかしい同居人が鍵を忘れたのかと思い、カーディガンを羽織ってドアを開けてみれば、
そこに立っていたのは大都芸能の懐刀と称される女性であった。


「酔っ払って二人でフラフラと歩道を歩いていたのよ。
あまりに危なっかしくて車に乗せたんだけど、見ての通りの有様なの」
「すみません、ご面倒をかけました」
水城の言葉に麗は本人達に代わって深々と頭を下げる。

後部座席の奥に座っているのは憮然とした表情の大都芸能の堅物社長。
中央には熟睡状態のマヤ。
手前には同じく、ぐっすりと眠りこけている見知らぬ女性がいた。

今日は久しぶりに高校の同級生に会うとマヤが嬉しそうに話していたな。
「草木さん」だったか・・多分彼女がそうなのだろう。
さて、どうしたものか。麗は考えを巡らせる。
六畳一間の部屋は三人で寝る分には何とかなるにしても、いかんせん布団が二組しかない。
しょうがない、とりあえず私がさやかの所にでも泊まりに行くか・・
そう思考に耽っているときだった。

「このアパートの部屋で三人も眠れるのか?」
不機嫌そうに黙りこくっていた速水が口を開いた。
「いえ、布団も足りませんし、私はどこか知り合いの所にでも泊まりに行くつもりです」
「だが、この時間に押しかけては相手にも迷惑がかかるだろう?」
「それは・・そうですけど」
おっしゃることはイチイチごもっとも。
だが、この状態で他にどうすればいいというのか。
寝ているところを起こされたこともあり、ただでさえ不機嫌なところにもってきての速水の言葉 に、麗は少しばかり苛立ちを感じた。

「それではこうしよう」
「え?」
一体何を言い出すのか、彼女は心持ち身構える。
「今日のところはこの二人は俺が預かる。
速水の屋敷なら部屋はいくらでも空いているから、多少客が来たところで問題はない。
君もわざわざ人の家に転がり込む必要もなくなるだろう?」
思いもかけない提案に、麗は何を言われたのか一瞬理解ができなかった。
絶句している彼女に構わず、速水は強引に話を進める。
「ちびちゃんは前にも俺の家に来たことがあるから勝手もわかっているしな。
それでは、後は任せてもらおう。君、車を出してくれ」
「は、はい」
運転手はエンジンをかけ、ハンドブレーキを下ろす。
駆動音も静かに車は発進すると、みるみる闇の中へと溶け込んで行った。


「問題・・違う意味で・・あるんじゃないのか・・?」
麗はアパートの前で、ただ呆然と佇むばかりであった。


これは一体どうしたことだろう。
運転席の男はバックミラー越しに、雇い主をちらりと盗み見る。
「冷徹」と呼び称されている彼が泥酔した女性を拾って車に乗せたばかりか、あまつさえ屋敷 に連れて帰って面倒をみるという。
実際に自分の耳で聞いていなければ、とてもではないが信じられない話だった。

一方、隣では速水の有能な秘書が一人ほくそ笑んでいた。
真澄様・・さすがですわね。
部屋の狭さにかこつけてマヤちゃんを家に招き入れるなんて。
澄ました顔をしていても、心の中ではガッツポーズをとっているんじゃないかしら?
想像して思わず肩が震えそうになるのを必死で抑える。

・・とは言え、こんな夜更けに酔い潰れた女性をいきなり連れて帰ったら、ちょっとした騒ぎにな るでしょうねぇ。

水城はさり気なく上司を促す。
「真澄様、お客様を連れられるのですから、お屋敷に連絡をされたらいかがですか?
いろいろ準備もあるかと存じますし」
「ああ、そうだな」
速水は秘書の言葉に頷くと携帯を取り出し、手馴れた動作でボタンを押した。

「遅い時間にすまんが、これから客を二人連れて行く。
寝室を用意してくれ。ああ、その部屋でいい」
低い、しかしよく通る声が車内に響く。
その声に反応したのか、窓際に座っていた女性がびくりと身じろぎをした。


「う・・・ん、あれ・・?ここは・・」
草木はそこが見覚えのない場所であることに気づき、ガバリと身体を起こした。
「おっと!」
その拍子に彼女に凭れていたマヤの身体が傾き、速水は咄嗟にその腕を引く。
勢いよく引き寄せたにも関わらず、泥酔した眠り姫は目を覚ます気配もない。

ちびちゃん・・・

速水に身体を預けたまま、マヤはすやすやと眠り続けている。
彼女の寝息の穏やかさとは反対に、真澄の心拍数はドクドクと高まっていく。


「私、一体どうしたんですか?あなたは誰なんです?この車は一体どこへ・・」
見知らぬ男性がいることに狼狽し、草木は矢継ぎばやに質問を繰り出す。
やれやれ・・速水は傍らへ集中していた意識を、動揺している女性へと移した。
肩を竦めて彼は、自分に凭れて寝入っている女優を目で指し示す。

「この娘のことは知っているか?」
「マヤちゃん・・」
「そうだ、君はこのちびちゃんと一緒に酒を飲んでいた。それは覚えているか?」
草木はぼんやりと霞がかったた記憶をたぐり寄せる。
「え・・と、確かマヤちゃんと居酒屋で飲んで、電車で帰ろうと駅まで歩いていたら・・」
どうもそこから後の覚えがない。
黙り込む彼女に、速水は冷ややかに言葉を投げる。
「君も女性だろう?あまり無茶な飲み方はしないことだ。
青年実業家のカッコイイ婚約者とやらが泣くぞ」
「私・・そんな話までしたんですか?」
「ああ。しっかりとノロけられたな」
草木の顔がカァーーッと火照る。
その素直すぎる反応に速水は好ましいものを感じた。
なるほど、似たもの同士ということか・・
他の女性と接してもマヤを念頭においてしまうあたり、彼の病は重症といえるだろう。


「真澄様、あまり苛めたら可哀想ですわ」
見知らぬ男に突っ込まれ、動揺している草木に水城が助け舟を出した。
「確かにあまり飲みすぎるのもどうかとは思うけれどね。
これからは気をつけた方がいいわ」
「はい・・ご迷惑をお掛けしてすみません。
普段は私、お酒に弱いのであまり深く飲んだりしないんですけど・・
今日はマヤちゃんと久しぶりに会えて箍が外れたみたいです」
女性がいることに安心したのか、草木の声から堅さが取れる。
「あなた、マヤちゃんとは高校の同級生なんですってね」
「ええ、クラスメイトだったんです。マヤちゃんが演じた一人芝居のお手伝いをしたんですよ」
「一人芝居と言うと『女海賊ビアンカ』と『通り雨』か?」

突然口を挟んだ速水に驚き、草木は彼へと顔を向ける。
「そうですけど、ご覧になったんですか?」
「いや、仕事が忙しくて見に行くことができなかった。未だに残念に思っている」
「もしかしてマヤちゃんのファン・・なんでしょうか?」
「ファン?」
彼女の言葉を真澄は繰り返した。
偶然とはいえ寄り添う形となったマヤの肩にふわりと手を掛ける。
「ああ、そうだ。俺は北島マヤの一番のファンだと自負しているよ」
穏やかな笑みを伴って出されたその答えに、草木はなぜかそれ以上の感情を彼から感じた。

「ところであなた、ご自宅はどこなのかしら?」
水城の言葉に速水もそうかと思い当たる。
草木が目を覚ました今、わざわざ屋敷に連れて行く必要はないのだ。
切れ者と名高い彼も、想い人の温もりに気をとられてか頭の回転が鈍くなっているらしい。
住所を聞いてみるとそこは、水城のマンションへ向かう途中の地域であった。


「ここで結構です、後は歩いていきますから」
草木は車を降りて改めて礼を述べると、去っていく社用車を見送った。
「マヤちゃんったら、恋人がいないって言ってたけどあんなに素敵な人がいるじゃない。
ちょっと怖い感じはするけど・・」
呟いて草木は速水の姿を思い浮かべる。
マヤについて語る時の嬉しそうな表情、向ける眼差しの熱さ、彼女の肩をしっかりと支えた 腕・・そう、まるで離すまいとするかのように。

マヤちゃんは分かっているのかしら?
あの人の気持ちに気づかないとしたら相当鈍感よね。
恋する女性特有の鋭さで真澄の数年越しの想いを察した彼女は、二人の今後を想像しながら 軽い足取りで家路へとついた。


ふふっ、これでお邪魔虫がいなくなったというわけね。
この絶好のシチュエーションに真澄様は一体どうするのかしら。
考えるだけで水城の中にむくむくと野次馬心が沸いてくる。
月曜日に真澄様に会うのが楽しみだわ。
・・できれば笑顔で出社して欲しいものだけれど。
今までの歯痒いばかりの彼の行動を思うと、そう楽観視できないのもまた事実であった。
せっかくのチャンス、逃さないでくださいましね、真澄様!
水城は奥手過ぎる上司に心の中でエールを送る。

「それでは社長、私もこれで失礼致しますわ」
ご苦労だったと声を掛ける速水に彼女は一言付け加えた。
「真澄様、くれぐれも狼にならないよう、お気をつけあそばせ」
「水城くん!」
ウィンクをして言う彼女の様子は、むしろそれを唆しているかのようだ。
横で話を聞いていたドライバーは秘書の言葉に気色ばんだ。

速水社長ならどんな女性でも寄ってくるというのに、わざわざこんな子供じみた女に手を出すわ けがない。
水城秘書がこういう冗談を言うタイプだったとは・・。
実際は冗談でもなんでもないのだが、例えそれを力説したところで信じる者は少ないだろう。


人が減り沈黙の下りた車内で、真澄はマヤの寝顔を眺めながら物思いに耽っていた。

以前、この娘を屋敷に連れて行ったのは彼女が高校生のときだ。
母親を亡くし自分の演技さえも見失って、まるで抜け殻のようだった。
なんとかして立ち直らせたくて、あれこれと手を打ってみても空振りばかりの苦悩の日々。
いや、そもそも俺の手で救おうなどと考えたこと自体がとんでもない自惚れだったのかもしれな い。
なぜならマヤは一人で立ち上がる強さを持っていたのだから。
常に自分の想像の上をいくこの娘に、俺はどれほど恋焦がれてきたことか。
またマヤを屋敷に連れて帰る日がこようとは・・真澄はこの神の采配とも言える偶然に心が
躍った。



明かりの灯された門扉をくぐり、車は屋敷にほど近い場所で停止した。
「社長、私がお運びしましょう」
「いや、構わん。俺が抱えて行く」
マヤに手をかけようとする運転手を制し、真澄は軽々と彼女を抱き上げた。

他の男になど指一本たりとも触れさせてなるものか・・!

自分のものでもないというのに、彼の嫉妬心は真にもって根が深い。
真澄はしっかりとした足取りで、泥酔しているマヤを抱えて玄関へと歩を進めた。
背後で2人を運んだ高級車に再びエンジンがかかり、車体が軽く上下に振動をする。
速水社長にあそこまでさせるとは・・あの娘、一体何者なんだ?
駐車場へと車を移動させながら、男は常にない雇用主の行動に首を捻るばかりであった。


玄関では車の音を聞きつけてか、数人の使用人が迎えに出ていた。
「お帰りなさいませ、真澄様」
「ああ、ただいま。頼んでいたことはできているか?」
「はい、お部屋をご用意してございます。それでお客様というのは・・?」
問いかけながらも、召使達の視線は真澄の腕の中で熟睡している女性へと一様に向けられて いる。

「あら・・この方は・・」
一歩前へ踏み出したのは、マヤが速水邸にいた頃にあれこれと世話をしていた年配のメイド だ。
「覚えていたか、北島マヤだ。何年か前に屋敷に住まわせたことがあっただろう。
見た通り少々酒が過ぎたようで、千鳥足で歩いているところを保護してきた。
将来性のある女優に何かあっては敵わんからな」
真澄はもう一人の客が帰宅した旨などを簡単に説明してから、寝室のある2階へと足を向け た。
「お客様がお目覚めになった時に喉を潤せるよう、お飲み物を用意して」
他の者に指示を与えて、マヤと面識のある召使いが真澄につき従う。

四季折々の花を咲かせる庭園を一望できる、見晴らしの良い客室。
両手が塞がっている主人に代わり、メイドはその部屋のドアを開けた。
彼女は懐かしさゆえに真澄に抱えられて眠っている少女に視線を送る。

夜更けにお客様がいらっしゃるというから珍しいこともあるものだと皆で話していたけれど、この 娘さんだったのね。
思春期の女の子の成長は早い・・数年前よりも大人びた面差しに時の流れを感じる。
「前にいらしたときもこの方は、こうして真澄様に抱きかかえられていらっしゃいましたね」
「ああ、あの時は肺炎をこじらせていた。全く、今も昔も手間のかかる娘で困ったものだ」
それにしては嬉しそうですけど・・思った言葉は彼女の胸の内だけに留める。


「お飲み物をお持ちしました」
若いメイドが水差しに入れたミネラルウォーターとグラスを盆に乗せて運んでくる。
「ああ、そこのテーブルに置いてくれ」
「真澄様、何かお手伝いすることはございますか」
「いや、この娘は酔い潰れているだけだから、後は寝かせておけば大丈夫だろう。
遅い時間にすまなかったな、後は休んでくれ」
それでは失礼しますと一礼をする二人に頷き、真澄はベッドに近づく。
マヤの温もりを手放すことを少しばかり残念に思いながら、寝台に下ろそうと若干腰を屈めた時 だった。
彼女の目がパチリと開き、大きいつぶらな瞳が彼を映した。

「速水さん・・」

真澄の身体がギクリと強張る。
俺などに抱かれていると知ったら、この娘は嫌がるだろうか?
戸惑いの余り身動きの取れない彼の腕の中で、マヤはいきなりボロボロと涙を零し始めた。
「ちびちゃん!?」
「速水さんの・・速水さんの・・ばかぁぁぁぁっっっ!!!!」

耳元で叫ばれ、彼にとっては聞きなれた罵声が頭の中でキンキンと反響する。
「速水さんはいっつも私のこと、子供扱いしてイジワルばかりでっ。
少しばかり自分が年上だからって、それが何だって言うのよ!
冷血漢!仕事の鬼!女心の分からない鈍感男っっ!!」
「バカッ、暴れるんじゃない!床に落ちるだろう!」
泣きながら手足をバタつかせるマヤに危うくバランスを崩しそうになり、真澄は慌てて彼女を抱 き直す。

それにしても言いたい放題とはこのことである。
鈍感なのは君の方だろうが。
尚も叫び続けるマヤに心の中で反論をする。
しかし・・何かがおかしい。
この暴言は速水に対してのものであるにも関わらず、彼自身には向けられていない。
半分意識のないまま、ただ一人でがなっているに過ぎないのだ。

これは・・もしかして泣き上戸か?・・

気づいてみれば、その余りの酒癖の悪さに怒る気も失せ、脱力感ばかりが身体を支配する。
マヤには酒を控えるようキツく灸を据えておかねば。
ハイになるわ、眠り込むわ、泣くわではどうにも手がつけられん。
速水はとんだ大トラ娘に呆れながらも、ブツブツとぼやく。


「商品として、物としてしか見られないということがどれほど辛いことなのか・・速水さんは全然 分かってないんだから・・」
マヤの一方的な主張は続いているものの、段々勢いがなくなり声も弱くなる。
真澄は彼女が大人しくなったところを見計らって、その身体をベッドに横たえた。
「君を商品と思ったことなど一度もない」
そう答えたところで彼女は覚えていないだろう。
彼は愛しい娘の額に手をあてて、一摘まみほどの前髪をすくった。
現実と夢の狭間に漂っているマヤは更にぽつりと言葉を漏らす。

「本当に分かってない・・私が紫のバラをもらう度にどんな思いをしているか・・」

え?
真澄は我が耳を疑う。
なぜここで紫のバラが出てくるんだ?
混乱する彼に構うことなくマヤの独り言が一つ、また一つと零れ落ちる。
「私、ずっと待っているのに・・速水さんなんて・・速水さんなんて・・・」

・・大好きなんだから・・

吐息だけで語られたその言葉を、速水は信じられない思いで聞いていた。
これは夢だろうか?
それとも酔っているのは俺の方なのか?
突如、車内でのマヤの言葉が頭の中で蘇る。

「紫のバラの人・・うふっ・・大スキ・・」

マヤは紫のバラの人の正体を知っていてその上で彼を、つまり俺を好きだと言っているのか?
本当にこんなに都合のいいことがあり得るのか?
速水の求める真実を秘めた娘は、既に眠りの海へと誘われている。
その寝顔には一筋、涙の跡が残っていた。
真澄は彼女の頬にそっと指を這わせる。

「マヤ・・俺はまた君を泣かせていたのか?」
その涙を止めることができるなら。
今度こそ・・そう、今度こそ俺自身の手で君を支えることができるのだとしたら。

今は眠れ・・マヤ。全ては明日だ。

彼女の頬に軽くキスを落とすと、真澄は静かに部屋のドアを閉めた。





窓からピチュピチュと小鳥の鳴く声がする。
もう朝かぁ・・
閉じられた瞼にも眩しいほどに注ぎ込まれる光を感じ、マヤは顔をしかめる。
今日はお休みだから、もう少し寝ててもいいよね。
ゴロンと寝返りを打った瞬間、頭に激痛が走った。

いったぁ・・っ・・そういえば昨日、草木さんと飲みに行ったんだっけ。
それで駅まで歩いて・・・あれ?
そこまで考えて、マヤは初めて違和感に気づく。
この布団、いつもより柔らかい・・それに気のせいか鳥の声が・・窓の方向が違う気がする。
「ようやくお目覚めか?」
聞き覚えのある声に背中に冷や汗が流れる思いで振り返ると。
そこには長い足を優雅に組み、革張りのソファーにゆったりと座っている男がいた。

「は、速水さん!?どうしてここに!?」
「どうしてとはご挨拶だな。ここは俺の屋敷なんだが」
その言葉に部屋の中を見回してみると、ゴシック調の高価そうなテーブルや、気後れしそうな ほど立派な額に入った絵画が目に飛び込んでくる。
確かに自分の住んでいる部屋とは雲泥の差だ。
「あのぅ、状況が掴めないんですが・・」
恐る恐る切り出すマヤに、速水は昨日の夜からの出来事を説明する。


「覚えてないのか?」
「・・・全く覚えてません」
小さくなるマヤに真澄は厳しい視線を向ける。
「たまたま俺が見つけたからいいが、これが下心のある人間だったらどうなったと思うんだ!
君は緊張感がなさ過ぎる。自分が女だという自覚があるのか?
これから酒は一切飲むんじゃない!わかったな!?」
畳み掛けて叱り付ける真澄に、黙って聞いていたマヤも流石にムッとして反論を試みる。
「わ、私だってたまには飲みたい時だってあります。
もう子供じゃないんですから、速水さんにそこまで言われる筋合いはありません!
私のことなんてあなたには関係がないんだから放っておいてください!!」
「関係がない?」
真澄の目に剣呑な光が宿る。
しまった、言い過ぎた・・マヤも失言に気づいたものの、一度出た言葉は元には戻らない。
覚えていないとはいえ、彼は飲みすぎた自分を心配して屋敷まで連れ帰ってくれたというの に・・。
近づいてくる真澄を直視することができず、頭を落としベッドの縁に下ろした足元を見つめる。

彼はマヤの前に立つと俯く彼女の顎に指を掛け、目線が合うよう若干乱暴に持ち上げた。
「いいか、俺が君に関して関係がないなどと思うことは過去において、そして未来においてもあ り得ないと断言しておく。君がどう思おうとな。
あまり生意気な口を利くようならこの家から金輪際出さんぞ」
「な・・なんの権限があってそんなことを言うんですか!」
「権限か・・そうだな」
真澄はマヤの瞳の奥を見つめ、その問いに答える。
「君を何年もの間見守ってきた足長おじさんとして、そして君を愛する一人の男として・・という 理由ではご不満か?」
ご不満かって言われても・・え?ええっ??
突然の告白に、ただでさえ二日酔いで回らないマヤの頭はパニック状態に陥る。

真澄はベッドを離れると、テーブルの上にある水差しを手に取った。
「ほら、喉が渇いただろう」
水を注がれ、差し出されたグラスを受け取り、マヤは一気にそれを飲み干す。
冷たい液体が喉を通り、火照った身体がクールダウンされていく。
ほぅと息をついて見上げると、自分を混乱に陥れた男は穏やかな笑みをたたえていた。

「落ち着いたか?」その言葉にこくりと頷く。
「では、答えを聞かせてくれ。俺の気持ちは君にとって迷惑か?」
迷惑?迷惑なわけない・・
マヤは真澄の言葉を反芻し、否定する。
「いいえ。私も・・あなたが好きです、速水さん」

マヤの肩を真澄の腕がふわりと覆う。
「その言葉を聞ける日が来るとは思わなかった・・」
耳元で囁かれる声に誘われるように、彼女は広い胸へと身体を預けた。
「マヤ・・ずっと君を、君だけを見つめてきたんだ、マヤ・・」
自分の名を呼ぶ、そのくすぐったいほどの柔らかな響きにマヤは耳を、そして心を傾ける。
「君は知らないだろう。俺がどれほど長い間、君を想っていたか。
どれほど君をこの手に抱きたかったか・・だから・・」

だから・・?

マヤはふわふわとした雲の上にいるかのような心地で、彼の口から紡がれる熱を受け止める。 しかし次に放たれた言葉は甘さとはかけ離れたものだった。

「もう二度と手放さない。
例え脱走しても地の果てまで追いかけていくから覚悟しておけ?」

その悪戯めいた、しかし恐ろしいほどに本音が色濃く出ているセリフ。
・・もしかして昨日、私はこの世で一番危険な車に乗ってしまったのかもしれない・・
思ったところで後の祭り。
彼と彼女の運命は、既に紡がれるべき未来へと走り出していた。



<Fin>



「大都タクシーPart2」の続編です。
「大都2」はサイト本オープンのお祝いとしてアイリーンさんから頂いた作品なのですが、もう
初めて読んだときから続きが気になって、勝手に妄想をしていました(^^ゞ

アイリーンさんの書かれる絶妙なツッコミ、コミカルでテンポの良いストーリー展開・・
その後を続けるということはプレッシャーも大きかったですが、書かせていただける喜びも
また、それ以上に大きかったです。
草木さんや速水家のメイドさんなどあまり書く機会のないキャラを動かしたり、マヤを速水家に お持ち帰りするなどの滅多にできないシュチュエーションを入れ込むことができて、とても楽しく 書くことができました。

タイトルがなぜ「3」ではなく「2.5」なのかと言えば、「1」にあたるアイリーンさんのお話が
全く違う設定だからです。
「2」に連なる、でも完全なカップル成立まではいかない位置・・ということで「2.5?」としま
した。

最後に、寛大なお心で勝手な申し出を受け入れてくださったアイリーンさんに改めて御礼申し 上げます!