好敵手 1
1.桜小路優
「舞ね、桜小路くんとここへ行きたいの!」
彼女は一冊の週刊誌の記事を指差した。
『デザートの美味しいレストラン特集』と題したページには、女の子が好きそうな洒落た構えの店が所狭
しと紹介されている。
その中で舞が選んだのはちょっと品の良さそうな、普段僕たちが行く所よりも1ランク上と思わせるレスト
ランだ。
「今日は君の誕生日だからね。どこでも好きなところに連れて行ってあげるよ。
そういう約束だったろ?」
舞の顔がぱぁっと明るくなった。
この子はいつもこうだ。
僕のちょっとした笑顔や好意にてきめんに反応して、頬を赤らめる。
かわいい、と思うべきなんだろう。
だけど僕にはそれが負担と感じてしまう。
女の子に好意を持たれて、自分の態度に一喜一憂する様を見るのは自尊心をくすぐられる。
それは否定しない。
でも、それが好きな女の子でなければ・・。
僕は軽く首を振った。
やめよう、これ以上考えるのは。
今日は彼女のお祝いのために会っているんだ。
地下鉄の電車を降りて、5分ほど歩いた。
都心の一等地にある20階建てのビル。
雑誌の記事によると、その最上階に目的のレストランはあるらしい。
赤みがかった空は、深い紺の色にだんだんと脅かされていく。
夜景を見るには最高だろうな、と思いながらエレベーターのボタンを押した。
週刊誌にとりあげられたせいなのだろうか。
まだ夕食には早い時間にも係わらず、店の中は思ったよりも混んでいる。
期待した、夜景が見れそうな窓際の席は埋まっており、僕達は少し奥まったテーブルに案内された。
入り口に背を向ける形で座った僕の目線の先に、空席のテーブルが映る。
「予約席、か。」
天の星と地上の星、どちらをも眺められるだろう席には札が一つ置いてあった。
「次からは予約しよう」
"次"に僕は一体誰とここへ来るんだろう。
クラシックが流れる店内を見渡すと、席についているのはカップルか女性グループばかりだ。
はたから見ると僕たちは恋人同士に見られるんだろうな。
なんとなく思った。
舞のことは嫌いではない。
でも好きでもない。
言ってみれば「妹」のような感覚だろうか。
でも彼女が僕に求めるのは「恋人」だ。
あまりにもその気持ちが前面に出すぎていて、僕は悪いと思いながらもうんざりする自分に気づく。
その好意が純粋であればあるほど、僕を追い詰める。
なぜなら僕には他に好きな人がいるから。
何年もの間、思い続けている・・あの子。
舞もそれがわかっているくせに、僕から離れようとしない。
僕も舞を傷つけたくなくて、別れを言い出せない。
そして、こうやって彼女の誕生日を祝っていたりするわけだ。
「桜小路くん」
彼女の声に、自分の思いに捕われていたことに気づく。
舞はうっとりと僕を見ると、熱に浮かされたような表情で僕に言う。
「舞ね、誕生日に桜小路君と過ごせて、すごく幸せ。
来年も再来年も一緒にいられるといいな」
舞の言葉に曖昧に笑いかけて、僕はメニューを取り出す。
「ほらほら、舞。まだ何を食べるか決めてないだろう?
どれにしようか」
「うーんとね、うわー、なんだか迷っちゃう」
言葉の通り舞は大いに迷い、なんとかパスタとケーキを注文した。
"デザートが美味い"というコピーだったけど、料理の方もなかなかの味だった。
魚のソテーを口に運びながら、この店は「当たり」だねと話しかけると、
うん、舞のスパゲッティも美味しいよ、にこにこと彼女が応える。
和やかな会話が続く中、それをよく通るバリトンの声が遮った。
「今日は無事、千秋楽をつとめ上げたお祝いだ。何でも好きなものを頼んでいいぞ」
「ホントに?私、遠慮しませんよぉ。いっぱい頼んじゃうから」
「構わん。ただ、他の客の分も少しは残しておけよ?」
雷に打たれたかのような衝撃が僕を走る。
よく知っている声。どちらも・・よく知っている。
その客は僕達のテーブルの横を通り過ぎて行く。
僕は窓際へと歩いていく人影に目を向ける。
瞬間、心の中ではわかっていても、視線が凍りついた。
・・やっぱり・・
速水社長と・・マヤちゃんだ!
2人は店員に例の予約席を案内されていた。
速水社長はマヤちゃんを座らせるためテーブルから椅子を少し引き、彼女を席へと導く。
その仕草があまりにスマートで、女性をエスコートし慣れている大人の男性であることを強く感じさせた。
どうして速水社長とマヤちゃんが一緒に食事なんて・・・
頭の中が真っ白で、ぐるぐると渦が巻いているようだ。
固定されたかのように2人から目が離せない。
速水社長が席に着こうとしたとき、僕と目が合った。
苦い表情をした・・ような気がする。
だけど次の瞬間、何かを意図するように、笑った。
急に会話がとぎれたのが気になるのか、舞が不思議そうに僕の顔を振り仰ぐ。
「どうしたの?桜小路くん」
あ、ああ・・。
正直に話すかどうか躊躇したけれど、隠したところでしょうがない。
「あそこ、窓際の席に座ったの、速水社長とマヤちゃんだよ」
「え?」と舞が後ろを振り返る。
「わ、本当だ!えーっ、速水社長とマヤさんって一緒に食事したりするの?」
それは僕が聞きたいっ!
怒りにも似た感情が湧き上がってくるのを咄嗟に押さえる。
「マヤちゃんは今は大都の看板女優だからね。
社長との会食なんてこともあるんじゃないかな。」
まるで自分に言い聞かせているようだ。
マヤちゃんと速水社長は所謂「犬猿の仲」だ。
寄ると触るとケンカばかりしていた。
そう、「していた」んだ。
最近ではそういう光景を見ることはほとんどなくなった。
軽く言い争っているのはよく見かけるけど、でも昔のように噛み付かんばかりのマヤちゃんではない。
二十歳過ぎれば大人だ、さすがに軽々しくケンカも売れないだろう。
それに今では速水社長は所属会社の社長なのだから。
そう納得していても、何やら違和感を拭えない自分がいることも僕は知っている。
「速水社長って別世界の人って感じだよねー。
富も権力もあって、雲の上の人みたい。
舞なんて恐くて話すこともできないだろうなぁ。」
思わずぷっと噴出した。
違いない。
社長の前でぶるぶると震えて硬直している子ウサギのような舞を思い浮かべた。
だから凄いよね、舞が言葉を続ける。
マヤさんはあんなに堂々と社長さんと話せるんだから。
僕の思考がまたマヤちゃんのところへと戻る。
確かに今の彼女は速水社長を前にしても決して引けをとっていない。
以前から恐れることなく社長と話はしていたけど、それはまるでキャンキャンと吼える子犬のようなイメー
ジだった。
だけど、今こうして見るマヤちゃんは社長と対等で・・それは彼女の成長を伺わせた。
大人になった、というだけの話ではない。
女優としての確固とした地位、自信、そんなものが彼女を人間として大きくしていた。
目が合った、と感じたにも係わらず、速水社長は僕のことなど気がつかなかったかのようにマヤちゃんと
話をしている。
彼女の席は僕に背中を向ける形で・・ときおり横顔が見えるくらいだ。
どうせならマヤちゃんの顔が見える方が良かったのに、と思って慌てて否定する。
舞と一緒に食事しているところなんて、見られたくなかった。
あの子が僕に嫉妬することはない。
彼女は別の誰かを好きなんだということはわかっている。
わかっていてもこの想いはとめられないんだ・・。
舞に集中しようと思っても、自然に目は窓際の2人へと行く。
真正面にあるんだから、しょうがないだろう?見たくなくても目に入るんだ。
自分自身に言い訳をしている・・自分。
なぜこんなに気になるんだろう。
たかだか芸能社長と看板女優の会食だ。
違う!と心のどこかで叫ぶ声がする。
目前の光景がそれを否定するのだ。
あの速水社長の顔・・穏やかな、まるで宝物を見つめるような満ち足りた表情。
嬉しそうに全身で笑う、あの様子。
少なくともあそこにいるのは冷徹と呼ばれる大都芸能社長ではない。
「じゃぁ、なんなんだ」
僕の中でじわりじわりと焦りのようなものが生まれた。
マヤちゃんはせっせと食事をしている。
相変わらず食べっぷりがいい。
小さな身体に似合わず、結構な大食漢なのだ。
見ていると、彼女は社長の皿から何かをフォークで指し、ぱくんと口に持っていって食べてしまった。
何か欲しいものがあったのだろう。
まるで子供のような行動におかしくなる。
こういうところがあどけなくて可愛いんだよな、マヤちゃんは。
と、微笑んでいた顔が次の瞬間固まる。
速水社長がマヤちゃんに笑いながら話しかけ、彼女の右腕を掴み、フォークに刺していた食べ物を腕ご
と自分に寄せて口へと運んだのだ。
今、見たものはなんだったのだろう。
味見?まるで恋人同士がやるような・・。
エリートが服を着て歩いている、そんな速水社長がとる行動とは思えない。
頭はパニック状態だった。
「桜小路くん、ケーキ追加していい?美味しくって舞、いくらでも食べれそう!」
食べることに夢中になっている舞は僕の様子には気づいていないらしい。
ああ、いくらでも食べてくれ。
黙って食べていてくれたほうがこちらもありがたい。
僕の神経は窓辺のテーブルに集中していた。
マヤちゃん達もメインの食事は食べ終わったらしく、デザートを待つだけという状態だ。
すっきりとしたテーブルの上で、今度は速水社長はマヤちゃんの左手を取った。
彼はその手に指を這わせ、手首から彼女の指の先までを一本一本なぞっているかのように見える。
カッとした。身体に震えが走った。
もう限界だ!
そう思ったときに救いの神が現れた。
店員が彼らのテーブルにデザートを運んできたのだ。
マヤちゃんは嬉々として、並べられた数々の皿に見入っている。
危うく立ち上がって、速水社長に詰め寄るところだった。
気持ちを落ち着けるために深い息を吐く。
すると速水社長がこちらに顔を向けた。
僕の目を見据えた後、マヤちゃんに何かを話しかけてから席を立つ。
そしてあろうことか彼は僕達のテーブルへと真っ直ぐに歩を進めた。
傍らに立つと、速水社長はにこやかに話しかけてきた。
「やぁ、桜小路くん。こんなところで奇遇だな。かわいい彼女とデートかい?」
かわいいと言われて舞は頬を染める。
「お邪魔するようで悪いんだが、少し話があるんだ。
一服したいので喫煙コーナーまで付き合ってくれないか。
僕達の席はあいにく禁煙席でね」
「舞、いいかな?」
一応彼女に確認をとると、頷いて同意の意を示した。
「では、お嬢さん、しばしの間あなたのナイトをお借り致します」
胸元に手をかざしスイッと礼をする姿は、憎らしくなるくらいにキマっている。
舞はといえば、湯気が出そうなくらい真っ赤な顔でぼーーっと速水社長を見つめていた。
決着をつけようと言うわけか?
望むところだ!
僕は湧き上がる闘争心を胸に、社長の後について喫煙コーナーへと向かった。
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