祝杯 3
嵐が過ぎた会場では、まだほとんどの人間が目の前で起きたことを受け止めるのが精一杯という
面持ちでいた。
その中で最初に動いたのは団長の堀田である。
「速水社長・・お久しぶりです」
「やぁ、堀田君。この度は千秋楽おめでとう。
私も一度観劇させてもらったが、バラエティに飛んだとても楽しい芝居だった。
観る度に洗練される演技構成は、君達独自のものであり他に類を見ないものだ。頼もしい限りだよ」
笑顔で話しかける速水に堀田は少々面食らう。
「い・・いえ、あの・・ありがとうございます。
いや、そうではなくて・・・マヤのことなのですが・・・先程の話は本当ですか?」
「もちろん本当だよ」
くすり、と悪戯をする少年のような笑いの後、彼は肯定をした。
堀田は速水の顔を凝視し、次に視線を下げてマヤの様子を探る。
彼女の溢れ出していた涙はいつしか止まり、今は頬を染めて俯いていた。
「マヤ、そうなのか?」
団長の問いに無言でこっくりと頷く。
「・・マヤに彼氏がいるという話は聞いてましたが、まさか速水社長だったとは・・」
未だに信じきれない想いがつきまとう。
「そんなに意外かな?」
くっくと、さも可笑しそうに婚約者だと名乗った男は笑う。
「一体なんだってマヤなんですか・・」
聞き様によってはかなり失礼な質問を、堀田は心のままに呟いていた。
芸能事務所の社長と看板女優の交際。
これだけ聞けば、それは決して不自然なものではない。
むしろありがちなこととして受け止められるだろう。
しかし、この「看板女優」が自分達の知っているマヤであるとなれば話は違ってくる。
舞台の上の彼女は確かに天才的な演技力を発揮し、観客・演技者共に魅了してやまない。
だが素顔のマヤはごくごく普通の女性なのだ。
いや、普通どころか、ドジで不器用で引っ込み思案で・・見ているこちらがハラハラするような頼りな
さを感じる娘なのである。
冷徹な仕事の鬼、目的のためならどんなに非情な手段をとるとも言われる大都芸能のやり手社長の
相手としては、あまりにも不似合いなのだ。
もちろん、堀田としても速水が噂どおりの冷たい人間だとは思っていない。
幾度か大都芸能のプロデュースで公演をしたことがあり、その際の大都の対応はこちらを一つの劇
団として高く評価し、細かい心配りさえしているように感じられた。
他の芸能社と比べても破格と思われるほどの扱いなのだ。
疑問に思った団長が大都の担当者に尋ねたところ、「社長から便宜を図るよう、指示されていますの
で」との返答であった。
なまじ紅天女のことで確執があった分、うちの劇団の実力を評価し買ってくれているのだろうか?
理由こそわからないものの、速水真澄という男に対しての印象が変わったことは確かだった。
堀田の問いがマヤを心配するがゆえのものであることを速水は察していた。
左の胸ポケットから愛用の煙草を取り出し、流れるような動作で火をつけ深く息を吐き出す。
細くたなびく白い煙を眺めながら彼は語り始めた。
「俺は・・マヤの演劇に対する情熱にずっと魅かれていた。
仕事の成功こそが正義と信じていた俺にとって、夢に向かって全身全霊をかけて挑むマヤは眩しく、
憧れのようなものさえ感じていた。そんな生き方は俺には許されていなかったからな・・」
「舞台から降りたマヤも、俺には貴重な存在だった。
なにしろ"大都芸能の鬼社長"に平気で食って掛かる・・臆することなく、真っ直ぐな心で訴えかけて
くるんだ。それがあまりに微笑ましくて、マヤと話しているとき、俺は自然に笑っていた。
笑う・・そんな感情はとっくに失くしていると思っていた。
ビジネスの世界で生きていくうえで、それは必要のないものだったんだ。
だが、マヤの舞台を見、話をしていくうちに、俺の中に人間らしいあらゆる感情が戻ってきた。
喜び、悲しみ、慈しみ、愛しみ・・。
溢れんばかりのその想いに俺は戸惑った。
まさか、と思ったよ。こんな小さな少女にと。
でも気づいたときには既に捕まっていた。
俺はもう・・ずっと・・ずっと長い間、マヤに恋をしていたんだ・・」
「ところが、だ」
速水は首をすくめた後、胸元にあるマヤの頭にポンと軽く手をおいた。
「このちびちゃんときたら、俺のことをゴキブリだのゲジゲジだのと毛嫌いしていてね。
まぁ、俺に原因があるとはいえ、ずいぶん切ない思いをさせられたよ。」
「速水さんっ!!」
マヤが真っ赤になって抗議する。
「なっ、何もそんなことを言わなくてもっ!あの頃はしょうがないじゃないですかっ!!
私も子供だったし、あなたはいつも意地悪を言っては私をからかってばかりいたんだから!」
握りこぶしを作り、尚も言い募ろうとするマヤの手を一回り以上大きな手が包み込み、優しく下に降
ろす。
「そんなわけでね、一年半前にマヤが俺を想ってくれていると知ったときには、とても驚いた。
正直、信じられなかったよ。決して叶うことのない夢だと思っていたからね。
だから俺にとっての幸福はこうして彼女が傍にいてくれることなんだ・・」
速水の思いもかけない心のこもった告白に、誰の胸にも暖かいものが湧きあがった。
確かにここにいるのは大都芸能の鬼社長ではなく、マヤの恋人の速水真澄なのであろう。
驚愕とも思えた事実を、不思議なことに今はすんなりと受け入れることができた。
「マヤのことを、よろしくお願いします!」
堀田は右手を差し出した。
「ありがとう。幸せにするよ、約束する。」
速水はその信頼に応えるかのように、握る手に力を込めた。
打ち上げの最中で申し訳ないんだが、と断りを入れて速水とマヤは劇場を後にした。
二人を乗せた車はビル街を抜けて夜の海へと飲み込まれてゆく。
「どうしたんだ?」
サイドシートに座ったマヤは、何かを考え込むように押し黙って窓の外を眺めていた。
彼女は少しの間躊躇っていたが、やがておずおずと切り出した。
「あの・・あたし速水さんが私とのつきあいに関して、あんな風に皆に説明してくれるなんて思っても
みませんでした。あたしなんかに恋してたなんて言って・・恥ずかしくなかったですか?」
「どうして?」
速水は自愛に満ちた眼差しをマヤに向ける。
「マヤ、君にとって一角獣やつきかげのメンバーは家族も同然なんだろう?
そんな大切な人達を相手に、言葉を飾ってみても意味がない。
俺が何年もの間、君を求め続けていたのはまぎれもない事実なのだから。
マヤ・・、俺を選んでくれて本当にありがとう」
速水の言葉にマヤは体中が震えるほどの感動を覚えた。
どうしてこの人はこれほどに私を幸せにしてくれる言葉を簡単に与えてくれるのだろう。
ときめく心を抑えつつ、マヤはもう一つの疑問を投げかけた。
「速水さん・・あと、婚約発表の記者会見って一体・・」
劇場で彼が支配人に告げた内容。
それはマヤにとっても正に寝耳に水の話だったのだ。
「ああ、君に知らせるのが後になって悪かった。
事業の方もようやく軌道に乗り始めたし、そろそろ二人の関係を公表しても構わないかと思ってね」
頼むから嫌とは言わないでくれよ・・
ぽつりと漏らした言葉に、マヤは満面の笑顔を返す。
「速水さん、ありがとう・・大好きっ」
マヤの目には先ほどとは違う種類の涙が光っていた。
愛しい恋人の喜びの言葉に安堵しつつ、速水は心の中でやれやれと溜息をつく。
全く、さっさと交際宣言をしておかないと気が気ではない。
あの時・・速水が打ち上げ会場に入った瞬間に目にした光景。
身体の中の血が逆流して駆け巡り、沸騰するかと思った。
俺のマヤを・・俺のマヤを抱き締めるなど・・
足は素早く男に歩み寄り、手はヤツの腕を捻りあげた。
そのまま力任せになぎ倒しただけで済ませたのは、奇跡と言っても良かったかもしれない。
間違いなくあの時、彼は明に殺意を覚えたのだ。
しかし殴りかかりたい衝動を抑えたのは、目の前に佇む愛しい存在ゆえだった。
彼女は恐怖にうち震え、大きな目には零れんばかりの涙をたたえていた。
とにかく慰めたくて、もう大丈夫だと伝えたくて、速水はマヤの肩を抱いた。
もう金輪際、あんな思いはごめんだ。
早いところマヤが俺のものだということを世間に知らせておかないと、安心して眠ることもできない。
「速水さん?どうかしたの・・?」
いつの間にか険しくなっていた速水の表情に気づいたのか、マヤが不安げに声をかける。
「いや、なんでもないんだ。ちょっと仕事の事を思い出してね」
明に嫉妬してムッとしていたなどとは、さすがに彼も打ち明けることができない。
それ以上追求されるのを避けるため、話題を他の方向へと向ける。
「今日はデザートが絶品だと評判のレストランに予約を入れておいたんだ。君好みだろう?」
「うわーっ、楽しみ!」
はしゃぐマヤに満足そうに頷いて、速水は目的の店へとハンドルを切った。
グラン劇場ではつきかげ・一角獣のメンバーが一組の恋人達の話題で大いに盛り上がっていた。
「まさかマヤとあの速水社長がなぁ」
「本人から聞いたんでなければ信じられなかったぞ」
「でも速水社長のマヤを見る表情といったら、とろけそうだったわよ」
「愛されてるわね、マヤ」
あまりに意外な事実に驚く男性陣に対し、女性陣は速水とマヤの様子を思い出してはくすくすと笑い
声をあげる。こういうときの女性の洞察力の鋭さは流石であろう。
「ねぇ、麗?」
そんな中、さやかが麗に呼びかけた。
「あなたは知ってたんでしょ?あの二人の関係。
・・あのさ、速水社長って確か、どこか財閥のお嬢さんと婚約してなかったっけ。
ワイドショーか何かで見た覚えがあるわよ」
痛いところを突いてくる・・麗は苦笑せざるを得なかった。
「ああ、そうだよ。鷹宮天皇と呼ばれる人の孫娘さ。
実際、大都にとってその縁組は企業として大きく躍進するチャンスだったんだ。
・・でも速水さんはマヤの気持ちを知り、マヤを選んだ・・。」
麗は声のトーンを若干落として、更に言葉を継いだ。
「婚約を解消した後は大変な騒ぎだったらしい。
結婚を前提とした企業間の事業がもう走り出していたからね。
速水さんの負担は並大抵のことではなかったと思うよ」
あの頃のマヤを思い出すと、麗は今でも胸が締め付けられる。
速水への恋心に泣き、想いが通じてからは自分が追い込んでしまった、彼の辛い立場に涙してい
た。
「どうして?速水社長はどうしてそこまでしてマヤのことを・・・」
さやかが誰に問うでもなく呟いた。
「それだけマヤへの想いが強かったんだろうね。
何しろ初めての舞台からずっとあの子を見守って、紫のバラを贈り続けた人だから」
「えええっ!!」驚きの声があちこちであがる。本日二度目の衝撃であった。
マヤの足ながおじさんは仲間内でも有名だった。
彼女の高校の学費を負担したり、演技のために別荘を貸してくれたりと援助を惜しまず、マヤの師で
ある月影先生の入院費さえ出してくれた、マヤにとっては大恩人なのだ。
「そうか・・そうだったのね・・」
さやかは急に頭の中の霧が晴れた気がした。
ずっとマヤに恋をしてきたという、彼女の足ながおじさん。
なんだか微笑ましいものを感じ、ふふっと笑みがこぼれた。
「ようし、仕切り直しをするぞ!」
団長が酒の入ったグラスを高々と頭上にあげ、叫んだ。
「改めて、我らがマヤと、速水社長の未来を祝って・・乾杯!!」
「かんぱーーいっっ!!」
この場にいない二人への祝福の言葉は、いつまでもいつまでも木霊するかのようであった。
<Fin>
初めて書いた小説です。
読み直してみると、何をいきなりこんなに長いの書いてるんだ、私!と己れの無謀さに頭を抱えたく
なります。
書いている時には「小説を書くのはこれが最初で最後」と思い、入れたいネタを詰め込むだけ詰め込
んだつもりだったのですが・・大間違いでした。創作は一度始めると止まりません(;^_^A
まさかサイトまで起こす事になろうとは、夢にも思いませんでしたけどね・・。
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