好敵手 3



3.対決




喫煙スペースは窓の側に設けられており、夜景を望むことができた。
桜小路は暗闇の中に呑まれるような感覚に襲われ、己れに活を入れるように首を振る。
「君も吸うか?」
煙草を差し出す速水にいりません、と憮然と答えた。

さて・・
紫煙をたなびかせ、速水が口火を切った。
「彼女とデートか。楽しそうで結構なことだ」
本当に楽しそうに見えたのか、この男はっ!
ムッとしながら桜小路は言葉を返す。

「あなたこそ楽しそうですね」
「ああ、楽しいよ。この上なく、な」
しれっと言ってのける速水を桜小路は睨み付ける。
その様子に構うことなくスーツの男は続けた。
「俺が楽しいと、幸せだと感じるのはマヤといる時だけだ。
彼女だけが俺の感情を引き出せる」
「それは僕にとっての宣戦布告と受け取っていいのですか」

「そうだな・・」
言いかけて速水は睫を伏せ、目を閉じる。
次にひたと桜小路を見据えて言葉を放った。
「いや、これを言わなければフェアじゃないな。
まだ正式に発表をしていないのだが・・俺はマヤと婚約する」

「なっ・・!」
なんの冗談だ!桜小路は叫びたかった。
確かに速水のマヤへの好意は感じていた。
2人の周りを包む空気が変化していることもわかっていた。
だが、話がこんなところに進んでいるとは。

「マヤちゃんは・・マヤちゃんは納得しているんですか?」
搾り出すように呻く。
「当然だ。彼女も俺を想ってくれている」
自信に満ちたその言い方に桜小路の理性が飛んだ。

「なぜ、なぜあなたなんですかっ!
何年もの間、彼女を泣かせ、苦しめてきたあなたがなぜっっ!!」
「ああ、俺はあの子をさんざん傷つけてきた。それは否定しない。
だがな、好きなら甘い言葉をかけていればいいのか?
ただ守ってやれば、それでいいのか?」
思わぬ反撃に桜小路は口を紡ぐ。

「君は北島マヤという人間がどんな人間だかわかっているのか?
あの子は天才だ。普通の女とは違う。
ただ大切に守ってやればいいという存在ではない。
彼女は逆境に立ち向かい、それを乗り越えて更に強さを身に着けていく。
そうしてどんどん彼女自身を輝かせ、不可能を可能へと変えていくんだ。
見事なものだよ、目を離すことができない。
彼女の成長の助けになるなら、俺はいくらでも憎まれ役をやってやるさ」
速水は舞の方を軽く顎で指し示す。
「ただ、慈しむだけの存在が欲しいのなら、身近な女で満足しておくことだ」

「あ、あなたは女優としてのマヤちゃんが好きだということなんですね」
速水の最後の言葉を無視して桜小路は問いかける。
「ああ、愛しているよ、女優北島マヤを。
そしてそれ以上に素朴で純粋なただの北島マヤを想っている」

2人の男の視線がぶつかる。
同じ女性を損得なく愛している・・2つの心。


「舞台はマヤにとってなくてはならないものだ。
生きがい、人生の全てと言ってもいい。
それを昇華していくのが彼女の生き様なら、俺は少しでも彼女の手助けをしてやりたいだけだ。
実際、彼女の才能は底が知れない。
俺などに支えていけるのか、不安になるくらいだ」

え?、と意外そうに桜小路が疑問の目を向ける。
「俺が不安になるなんて変だと思うか?
だが、北島マヤはそれだけの女なんだ。
彼女の才能なら日本だけでなく、世界へと羽ばたいていける。
どこまでも飛んでいくことができるんだよ。
それに引き換え、俺は単なる一芸能事務所の社長に過ぎない。」
・・今はな。
速水は窓に映る自分の姿を見つめ、言葉を続けた。
まるで己れ自身に宣言するように。

「俺は今の地位に甘んじるつもりはない。
大都の総帥の座を勝ち取り、世界市場に打って出る。
そして必ず大都をグローバル企業へと発展させてみせる!
北島マヤの夫として胸を張っていられるようにな」
その眼差しに野望への光が煌いた。

速水は振り返り、再び桜小路へと身体を向ける。
「ただ横に並んでいるだけではダメなんだ。
マヤは休むことなく突き進んでいるから、そのうちに置いていかれてしまうだろう。
そして挑戦を続ける彼女には障害も多い。
もしこの先に彼女が暗い迷宮を彷徨うことがあっても、俺の姿だけは見えるように、道標となるように、 俺は常にあの子の前を歩いていきたい」

マヤを思うその真摯な姿に、桜小路は打ちのめされるような感覚を覚えた。
速水と自分では立っている土台が違う。
それは年齢や地位というものではなく・・彼女への想いの基点が全く異なるのだ。
マヤに振り向かれたいとそればかりを願い、せめて彼女と一緒にいられるような俳優であろうと考えて いた自分。
目の前の男の決意を前に、あまりに底が浅かったことを思い知らされる。

足元の床が抜け、暗闇に堕ちていくようだった。
これがマヤちゃんの愛している男なのか?
だから彼女はこの男を愛するようになったのか?
愛して・・・
闇の中にマヤの泣き顔が浮かんだ。
「あの人が好きなの。忘れられないの・・」

桜小路の頭に疑念がよぎった。
心の闇の中に堕ちていた身体が、意思を持って地を踏む。
・・確かめなければならない。

「速水さん。あなたはいつからこうやってマヤちゃんのことを見つめていたんですか?」

突然の質問に速水は訝しげな表情をする。
何を言いたいんだ?
眉をしかめるが、彼としてもここまできたら自分を偽るつもりはなかった。

「そうだな・・君と同じ年月だけ彼女を見ていたよ。
若草物語の舞台、いやその前からか。
もしかしたら出会ったときから、魅かれていたのかもしれない」
それはもう10年近くもの間・・2人の男は1人の少女を想い続けていたのだ。

「紫のバラの人・・」導かれるように、青年はその名を口に紡いだ。

「あなただったんですね?速水さん」
「あぁ、そうだ」
窓辺に佇む男は迷うことなく肯定した。

桜小路の中で炎のような怒りが生じる。
紅天女の試演の稽古で、マヤはぼろぼろだった。
好きな男へのかなわぬ想いゆえに演技ができなかったのだ。
確かあのとき、速水には婚約者がいたはずだ。
大きな財閥の美しい令嬢。
そして苦しい恋に悩んでいたマヤ。
彼女はおそらく知っていたのだ。紫のバラの人の正体を!

「あなたはそんなにマヤちゃんを想っていながら、他の女性と婚約したんですね?
彼女にとって一番の目標だった紅天女へと向かっているときに。
あの子は泣いて泣いて・・痛ましかった。
何とかして僕が助けたかったけれど、しょせん一時しのぎに過ぎなかった。
そして極めつけに、あなたは彼女の目の前で紫のバラを投げ捨てたんだ!
それもあなたの言うところのマヤちゃんへの試練だったとでも言うんですか!?」

そんなこと僕は許せない!
怒りに打ち震えながら、燃える瞳で射抜くように速水を見つめる。
嵐のような感情をぶつけられた男は僅かに目を伏せた。
長い睫が頬に影を落とし、瞳は深淵を映す。

「そのことについては弁解のしようがない。・・俺のミスだ。
俺はあの子に憎まれている、嫌われていると思っていた。
だからいつものように彼女をけしかければうまくいくと、そう考えたんだ。
マヤの気持ちにも気づかずにな」
クッと自嘲するように笑う。

「俺の中にも弱さはある。
いつまでも振り向かない女を求め続ける辛さは、痛いほど身に染みている。
だから・・逃げた。
彼女を自分の中に封印し、他の女性との交際を始めた」
君と似たようなものだろう?
そう語る視線に、桜小路は激情でほてっていた身体に、急に冷や水を浴びせかけられたような気がし た。

「だが、結果は惨憺たるものだった。
俺はマヤを忘れるどころか、想いは余計に募るばかりだった。
そして自分自身を傷つけ、偽りの優しさで婚約者を傷つけ、そして・・最愛の人を傷つけた」
ガラスの向こうにある夜空の星を見つめるその横顔には、当時を思い出したのか苦悩の色が見える。
「この人も・・苦しんだのか・・」
感情の荒波が引き冷静さを取り戻した桜小路には、もう彼を問い詰めることはできなかった。

速水はともすると引きずってしまう感覚を打ち消すように、新しい煙草に手を伸ばした。
一つ、二つ、煙を吐き出した後の彼の表情には、強い意志の力が蘇っていた。
「俺はもう過ちを犯さない。
マヤが手に入った今、決して手放すことはしないし、そうならないための努力もする。
誰にも渡しはしない」

"だからもう、諦めろ"
そう暗に伝える速水の言葉を聞きながら、桜小路は全く違う思いに捕らわれていた。

冷静沈着と評され、全て計算づくで動くこの人も僕と同じような過ちを犯すことがあるのか?
今まで僕はこの人を全く異なる人種なのだと思っていた。
立場や物の考え方、あらゆることにおいて根本的に違うのだと。
でも、そうではないとしたら・・僕にも可能性があるんだろうか・・?

「速水さん」
きっぱりとした口調で桜小路が名を呼ぶ。
「それでも僕はマヤちゃんを諦められないかもしれません」
「・・結構。だが、わかっているんだろうな。
今の君ではとても望みはない」
「今は・・ね。
でもこれから10年先、今のあなたと同じ位の歳になったとき、僕は化けているかもしれませんよ?」
青年は不敵な笑みを浮かべる。
「そして彼女は僕と同年代だ」

「宣戦布告と言うわけか?」
先程の桜小路のセリフをそのまま返す。
「さぁ・・。もしかしたら他に好きな人ができて、さっさと結婚するかもしれませんしね」
首をすくめて彼は言う。
速水はフッと笑うと「それが一番賢明だと思うぞ」と念を押した。

桜小路は迷いのない目で速水を仰ぎ見た。
「正直言って僕自身、どうしたいのかまだわかりません。
ただこれだけは言えます。
僕ももう自分を偽りたくない。身近な人を傷つけることもしたくない。
真っさらな自分に戻って、これからどういう風に生きていくのか、考えてみたいと思います。
あなたやマヤちゃんに追いつき、追い越すために」

「上等だ」年上の男はニヤリと笑った。

「いつでも受けて立ってやる。だがそう簡単にいくとは思うなよ」
速水は煙草の火を消し、桜小路の肩をぽんと叩いて、マヤの待つ席へと戻って行った。


「速水さん、遅ーーーーーいっ!!煙草1箱吸ってきたんですか?
そのうち肺の中が真っ黒になっちゃいますよ!」
ぷぅと膨れてマヤが言う。
テーブルを見るとデザート皿が8枚、綺麗に空になって置いてあった。

「腹の中ほど黒くはないさ」速水はすまして言う。
「全くもう!そんなの自慢になりませんよ!
一度速水さんの身体の中をゴシゴシ大掃除してみたいわ!!」
「別に今夜でもいいぞ。俺の身体の穢れを落とすのは君の役目だ」
囁くように言う速水にマヤは顔を真っ赤に染める。
「はっ、速水さん!
それって何だか意味が違うような気がするんですけどっ!」
「そうか?俺はそうは思わんが」
ニヤニヤと笑う速水にマヤは言葉に詰まり「もう!」とそっぽを向く。
「そして心の穢れを落としてくれるのも君だけだ」
彼は心の中で付け足した。

君は知らない。
たった今、どのような会話がなされていたのかを。
君のことを一身に思ってきた2人の男の対決があったことを。
それでいい、と速水は思う。


桜小路がテーブルに近づくと、舞は俯き手元をじっと見つめていた。
「舞、遅くなってごめん」
声をかけられて初めて彼が戻ったことに気づいたらしく、顔を上げ安堵の息をもらす。
「どうしたんだい?浮かない顔をして。退屈させちゃったね」
「ううん・・思ったより長かったから、込み入った、大変なお話なのかなぁ・・って思って」
確かに所属事務所の社長からの直々の呼び出しとなれば、どんな内容なのか不安にかられるのも無 理もない。
「心配させてしまったね。ごめん、そしてありがとう」
舞は桜小路の声の、優しい響きにどきりとする。
「たいしたことではないんだ。これからの活動について、話をしただけだから」
そう、勇気を持って未来へ向かわなければ。

「舞、これから飲みに行かないか?」
「え?」「いやかい?」
ううん、と彼女は首を振る。
桜小路くんがお酒を飲む場所に誘ってくれるのは初めてだから・・。
舞は嬉しそうに頬を染めて俯く。

これから舞に長い話をしよう。今の僕の全てをさらけ出して。
彼女には辛い話になるかもしれない。
泣かれるかもしれない。
せっかくの誕生日にこんな話をするのは残酷かもしれない。
でも・・。
僕だけでなく、彼女もこの状況は打ち破らなければいけないんだ。
単に1つ歳をとるだけでなく、真の意味で成長するのも必要だろう。

「行こうか」
席を立ったとき、こちらを見ている速水社長に気づく。
−僕は、負けません−

速水の表情からは、何を考えているのかを窺うことはできなかった。


「藪から蛇をつついたかな・・」
「え?」マヤが聞き返す。
「いや、単なる独り言だ」
変な速水さん。
笑うマヤに笑顔を返し、彼は思う。

まぁいい、これでヤツは中途半端な気持ちでマヤに近づくことはないだろう。
力をつけて向かってくるというなら・・それはそれで面白い。
返り討ちにしてやるさ。
いずれ現れるかもしれない好敵手を思い、速水は微笑む自分を楽しんでいた。




<Fin>



ノリよく、勢いで一気に書けた話です。
3日で仕上げてそのままUPですから・・私の書くペースとしてはかなり早い方です。
この話を書くことで一人称小説の面白さを知りました。
感情だけを追っていくと、さくさくと話が進みます♪

この話では速水VS桜小路をやってみたかったんです。
両者共に警戒しあうばかりで、正面対決しそうにないんですもの。
言いたいことがあるんなら、一度ぶつかってみろっ!とばかりに話し合わせてみたのですが・・
流血沙汰にならなくて良かったですv