ギフト 3
「水城さん、こんにちは!!」
エレベーターが開き、北島マヤが顔を出した。
「いらっしゃいマヤちゃん。残念だけど社長はまだ打ち合わせ中なの。
ちょっと待ってもらえるかしら?」
「あ、はい。と言うか、私が早く来すぎただけなので気にしないでください。
今日はあとの予定がないから、例え何時間待ったとしても大丈夫ですよ」
天下の紅天女はあどけない笑顔で話す。
「そんなにあなたを待たせることになったら、社長の忍耐のほうが持たないわ」
応接室へ案内しながら、水城はまんざら冗談でもない調子で言う。
頬を赤くするマヤに「本当にわかり易い娘ね」と微笑が浮かんだ。
「マヤちゃん、この間の舞台、とても評判良かったわよ。
演技力はもちろんだけど、洗練された動きによって更なる表現力が身についたと評論家が絶賛して
いたもの。
客演という形で成功したこともあって、今まで交渉のなかった芸能社からもオファーが来ているくらい
よ」
少し甘めにしておいたわ、と紅茶をテーブルに置いて水城が話しかけた。
「それなら速水さんのお陰ですね」
軽く礼をしてカップに口をつける。
琥珀色の水面を見つめて、マヤは言葉を続けた。
「私、中学生の頃から演劇をやってきましたけど、基本らしい基本ってあまり習っていないんです。
月影先生に教えていただいたのは実践的なものが多かったから。
速水さんは私をずっと見守ってくれていただけあって、私の弱点もよく知っていて・・
日舞や発声、演劇論の勉強なんかをするようにって、それぞれの分野の先生を紹介してくれたんで
す。
私の自信のなさは、そういう基本がベースになっていないからじゃないかって」
ふふっと小首を傾げてマヤが笑う。
「気持ちから役に入っていくのもいいけど客観的に役を見ることもやはり大切で、そのための知識は
必要だって。
それによって演技に深みも出るんじゃないかって言ってくれたんです。
私、そんなこと思っても見ませんでした」
真澄らしい、と水城は思った。
目の前の女性の成長を何より願う彼の適切なアドバイス。
紫のバラを通してではなく、今は直接に支援をしてやれる幸せを真澄は感じていることだろう。
「私、ずっと長い間、目標にしていた紅天女を演じることができるようなりました。
でもそれで終わりではないんですよね。
まだまだ覚えるべきこと、会得するべきことがたくさんあるし、それを身に着けていくことがとても楽し
いんです。
実際に舞台に立ったときに演技に反映されているのが自分でもわかるから。
だから今はいろいろな役をやりたいんです。
それが月影先生から譲り受けた、大事な紅天女に繋がっていくんだって思えるから」
きらきらと目を輝かせて語るマヤを水城は眩しい思いで見つめた。
今や大都芸能の看板、日本を代表する女優の一人と言われている彼女。
それを奢ることなく、更に我が身を高めていこうとする精神はどこまで登り詰めることができるのだろ
う。
この娘のためなら何でもしてやろう、という上司の気持ちもわかるというものだ。
「頼もしいことね」水城は感嘆を込めて賞賛の意を表した。
あ、そうだ!、とマヤは何を思いついたのか、嬉しそうに話の方向転換を行う。
「水城さん、千秋楽の日には素敵なレストランを予約して頂いてありがとうございました!」
「あら、私が手配したって真澄様が言ったの?」
「私が聞いたんです。デザートの美味しいお店なんて速水さんのデータ外でしょう?」
確かに接待には向かないわね、と水城は仕事漬けの真澄の思考パターンを考える。
「あれはね、ご褒美なのよ」ウィンクをして秘書は言う。
「?・・千秋楽を迎えたからですか?」
フフッと笑い、答えを濁す。
いいえ、むしろ真澄様へのご褒美。
あなたに近づく男がいると知って、本当なら何を差し置いても劇場へ向かいたい気持ちを抑えた社長
への、ね。
豪華なフルコース料理もいいけれど、あなたが好きそうなお店なら、尚更あなたの零れるような笑顔
が見れるでしょう?
そしてそれを見るのが、真澄様の一番の幸せでしょうから。
水城はにっこりと微笑む。
「それで、どう?評判どおりのお店だったかしら?」
「はい!もう、どれをとっても美味しくて、私8皿も食べちゃいました!」
アプリコットムースにティラミス、紅茶のシフォンケーキにナポレオンパイ・・
次々にデザートの名前を出すマヤに水城は呆気に取られる。
「マヤちゃんは本当にケーキが好きなのねぇ。昔からなの?」
問われて少女は一瞬きょとんとする。
「・・いえ、私、小さい頃はケーキなんて誕生日とクリスマスくらいしか食べなかったし、つきかげに
入ってからはお芝居に夢中でほとんど食べることなんてなかったです。
種類も苺ショートくらいしか知らなくて・・」
何かの記憶を探るように、人差し指を口元に当てる。
「あっ、そうそう!私、高校で一人芝居をしたんですけど、そのときに演じた『通り雨』という芝居の役
作りをするために、普通の女の子がどういう風に生活しているのか友達に聞いたんです。
そのときにケーキがいっぱいある可愛いお店に連れて行ってもらって・・それから好きになったんだ
と 思います・・」
語る表情に若干の陰りが生じたのを水城は見逃さなかった。
「マヤちゃん?」
どうしたの、と促す秘書に、マヤは自嘲するような照れ笑いを浮かべた。
「私って、本当にお芝居のことばかりだな、って思って。
年齢や経験を重ねて、少しずつだけど自分に自信も持てるようにはなりました。
でも・・私から芝居というものをとったら後には何も残らないんじゃないかって思うとちょっと情けなく
て」
カップの横にある、水滴のついた銀色のスプーンに視線を落としたまま、言葉は更に紡がれる。
「速水さんは長い間、ずっと私を支えてくれて、いろいろなものを与えてくれました。
あの人がいたから、私は紅天女に向かうことができたんです。
だから私は少しでも恩返しがしたくて、女優として頑張ってきました。
でも・・」
一瞬の言葉の詰まり。
言うべきか言うまいか、迷う心は出口を求める。
逡巡の後、言葉は一筋の熱き奔流となって流れ出た。
「私は・・婚約者として、速水さんに何もあげられるものがないんです」
「マヤちゃん?」
水城は驚きの声をあげる。
「いえ、だから婚約を止めるとか、そういう話ではないんです。
速水さんが私のことをとても大切に思ってくれているのは、痛いほどよくわかっていますし。
ただ、悔しいんです。あの人のために何もできない自分が」
そんなことはない、と言いかけた水城の前で、突如マヤはその場で立ち上がり深々と頭を下げた。
「鷹宮さんの婚約破棄の件では速水さんにも、・・そして水城さんや大都の皆さんにもとてもご迷惑
を おかけしました」
いきなりの謝罪の言葉に速水腹心の秘書は驚きを隠せない。
「マヤちゃん、それはあなたのせいではないわ」
真剣な様子に戸惑いながらも手を差し出し、とにかく腰を掛けさせようとする。
「いいえ、このまま話をさせてください。
私、一度きちんとお詫びとお礼を言いたかったんです。
速水さんが・・大都芸能が大変なことになったのはやっぱり私に責任があります。
でも、演劇しか能のない私では速水さんのお仕事の手助けはできません。
すべて水城さんや社員の皆さんが、あの人を支えてくださったお陰です。
本当に感謝してもしきれませんっ!」
語るその瞳には透明な涙が浮かんでいた。
それは違う、と水城は喉元まで言葉がでかかったが、一瞬それをどう説明してよいのかわからな
かった。
確かに具体的な業務については社員が動くしかないだろう。
だが、それを統括する社長の速水に多大なる影響を与え、精神的な安寧を導いたのはマヤなのだ。
その結果、的確な判断のもと1年半という短い間である程度の決着をつけることができたわけであ
る。
水城はマヤの側へと移動し、優しく肩に手をかけて座るよう促した。
「マヤちゃん、会社のことずっと気にしていたのね?
ありがとう、あなたの気持ちは受け取っておくわ。
でもね、大都芸能と真澄様を本当の意味で支えたのは私達ではないのよ」
「え・・?」疑問を投げかけようとしたマヤの言葉は続けられることなく、突如遮られた。
トントンという音が聞こえたかと思うと、返事をする間もなくパタンッと大きく扉が開かれたのだ。
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