With Love −黒沼龍三−



紅天女・・往年の大女優、月影千草の代表作。
幻と謳われた演目の復活をその男が手がけることになったのは、ある天才との邂逅ゆえと言っても 過言ではないだろう。


劇場の廊下にパタパタと忙しなく走る音が響き渡る。
「おはようございます、黒沼先生!」
休憩室のドアを開け、男の姿を確認するや否や、ピョコンと大振りに礼をする。
彼女こそが彼を伝説の担い手へと導いた『天才』であった。

「おはよう北島。なんだ、ヤケに気合いが入っているじゃないか」
「えー?いつもと変わりませんよぉ」
ニコニコと答えながら、彼女は持っている紙袋の中を探る。
「はい、黒沼先生。いつもお世話になっています!」
手渡されたそれは、綺麗にプレゼント用のラッピングが施されていた。
「バレンタインデーか」

本来、黒沼という男はこのような行事には全くと言っていいほど関心がない。
しかし既に彼の妻から同じようにプレゼントを受け取っていたため、今日という日の意味するところは 理解していたらしい。

「お前さんがこういうイベントに気を配るとは思わなかったぞ」
「それってどういう意味ですか?私だって一応女性なんですよ」
ふて腐れた顔をするマヤに、黒沼は意味ありげな視線を向ける。
「なるほど。・・そういえば、今日は速水の若旦那が観劇に来るらしいな」
「えっ、そ、そう・・っみたいですね」
先ほどまでの勢いはどこへやら、急にマヤの気勢が削がれる。
俯いてボソボソと呟く様は予想通りの反応であり、またそれだけに苦笑を強いられた。


この北島マヤという女優には大恋愛の末、想いを通じ合わせた恋人がいる。
しかし、諸事情によりそれを公にはできない状況にあった。
秘め事をするにはあまりにも不向きなこの娘が、果たしていつまで隠し通すことができるのか。
少しは私生活にもその天賦の才を生かせれば良いものを・・。
余計な世話と分かっていながらもつい心配をしてしまうのは、この娘には人を放っておかせない何か があるからなのだろう。
考えながら彼女から受け取った箱に目を落とすと、そこにはメッセージカードがついていた。

「ほぉう。『愛をこめて 紅天女関係者一同』ねぇ・・」
裏側には「関係者」8人の名が記されているそのカードを、親指と人差し指で抓みひらひらと振る。
「アイはアイでも哀願の哀じゃねぇのか?これ以上厳しい稽古で泣かせてくれるな、という意味でも 込もってるんだろう」
「え?そんなことは・・っ」
切り込む黒沼を前にして、マヤの目はあらぬ方向に泳ぎだす。

彼女自身は月影千草に鍛えられているため、黒沼のしごきなど平気な顔をしてついてくる。
が、他の7人がどう思っているか・・この様子からすると推して知るべし、というところだろう。
「まぁ、このチョコレートの分くらいは甘くしてやると伝えとけ」
「はいっ!ありがとうございます!」
ホッとしたように笑い、頭を下げる・・その邪気のなさについほだされてしまう。
もっとも、だからこそ北島がプレゼントを配る役目となったのだろう。
こういうときの女性陣の計算高さには、ほとほと舌を巻く思いだ。

「おや?」
マヤが腰を屈めた拍子に持っていた紙袋が斜めに傾き、その中身が黒沼の視界に入った。
そこには彼が受け取った箱と同じものが2個ほど残っている。
・・・同じもの・・?
先ほど見た光景が稲妻のように脳裏をよぎった。
嫌な予感が一直線に背筋を駆け抜ける。
「北島・・これ、もしかして桜小路にも同じものを渡してないよな?」
「え?渡しましたよ?それが何か・・」

あっちゃぁ・・っ!
なんの含みもなく返ってきた答えに、黒沼は頭を抱える思いである。
気にかかるのは休憩室へ来る途中で見かけた主演男優の様子だ。
控え室へと入っていく男の表情がやけに暗く見えたのはどうやら気のせいではないらしい。

そう、問題はチョコレートではなくメッセージカードにある。
「愛をこめて」などと調子のいいことを書いているが、肝心の送り主の名が幅広のリボンに隠れて
見えないようになっているのだ。
もしこれを奴が北島からの告白と受け取ったら?
そしてそれが単なる勘違いだと知ったときの衝撃はいかばかりか・・

おいおい、勘弁してくれよ、これから舞台があるんだぞ?
頭からサーーーッと血の気が引いていくようだ。

青ざめる黒沼をよそに、マヤは肩にかけていたバッグから和風の包みを取りだした。
「実は桜小路君にはもう一つ用意してあるんです。阿古夜から一真へ、という形なんですけど、
いつもお世話になっているからその気持ちを伝えたくって」
北島のその言葉に彼は一条の光を見出す。
彼はいっそ罪悪と言ってもいいほど鈍感なこの女優の肩をガシリと掴んだ。

「いいか、北島!その包みを必ず舞台に上がる前に桜小路に渡せ!今日の公演が成功するか否か はそれにかかっていると言ってもいい!いいな?必ずだぞ!!」
演出家のあまりの剣幕にマヤは面食らったものの、勢いに押されてコクコクと頷く。
「よ・・よくわかりませんけど、黒沼先生がそこまで言うならそうします」
「頼んだぞ、北島!」
休憩室を出る主演女優を見送って、黒沼は思わず肩で息を吐く。
愛用のライターをポケットから取り出し、カチリとタバコに火をつけた。

一途過ぎるほどに北島を思っている桜小路のことだ。
これでどうにかなるだろう。
それにしても・・
「愛をこめて、か。他意はないとはいえ、北島も罪なことをするもんだ」

「ちびちゃんがどうかしましたか?」

よく通る声に驚き、ドアの方向に目を移すと。
そこ立っていたのは仕事に忙殺されているという噂の紅天女の興行主。
そして北島マヤの愛情を一身に受け、またそれ以上の想いを彼女に傾けている男であった。


・・一難去ってまた一難。
 


<Fin>
 


実はこの話、最初に何も考えずに黒沼先生の語る一人称で書き上げてから、桜小路編が三人称で あることを思い出し慌てて修正しました。
黒沼先生を書くのは面白かったので、いつか機会があったらまたチャレンジしたいです。

ストーリー展開上、蛇足かなと思って入れなかったエピソードがあるので、おまけでつけときます。



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「黒沼先生からのお返しは、せいぜいキャンディかマシュマロってとこかな」
「そうそう、2倍で返してもらえたらラッキーだよね」
「え?ホワイトデーって男の人が倍にして返すものなの?」
「2倍、3倍は当たり前よ!って言うか、それができない男は願い下げだけどねー」
マヤは黒沼にチョコレートを渡しながら、他の出資者7人との会話を思い出す。

「おい、北島」
「は、はい??」
「これくれたヤツらに言っとけ。
お返しとやらはうちのかみさんが選ぶから少しは期待していいぞってな」

ニヤリと笑う演出家に、マヤはメンバーの思惑が全て見透かされていることを知る。
「黒沼先生って凄い・・さすが人を見る演出家だわ」

しかしこの件に関しては決して黒沼が鋭いのではなく、マヤの感情が顔に出やすいだけだという
事実を彼女は知る由もなかった。


おわり♪

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